私は、2016年の4月に滋賀県から大崎上島へ移住し、島暮らし9年目の菅原一恵と申します。移住体験談を募集しているのを知り、自分の8年間を振り返る良い機会だと思ってチャレンジすることにしました。
移住者の皆様、たくさんのご応募ありがとうございました!
皆さんが広島に移住するまでの気持ちの変化や、移住後の率直な感想、家族や繋がった人たちへの想い溢れる作品など、素敵な作品ばかりでした。地方移住に関係する分野で活躍されている4人の方に審査いただき、受賞作品が決定しました。最終優秀賞,優秀賞,特別賞に選ばれた作品をご紹介いたします。※受賞者の方には別途メールでご連絡いたします。
ひろしま移住サポートメディアHIROBIRO.
対象 | 広島県に移住された方 |
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募集期間 | 2024年11月1日~2024年11月20日 終了 |
テーマ |
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結果発表
導かれるように大崎上島へ〜田舎暮らしと子どもの教育、両方をかなえた家族のお話〜
どんどん満たされていく
「わっしょいわっしょい」、肩の痛みを紛らわすように大きな声を出す。お宮さんのご近所の商店を必死に目指し、高く神輿を上げる、最後の「わっしょい」を振り絞る。神輿を下ろし脱力した身体で、振る舞われた御神酒「神雷」を、一升瓶でぐいと呑み込んだ。
まず書き出しのインパクト。そして文章のリズム感。なんだろう、と引き込まれて最後まで心地よく読めました。東京と神石高原町の「物理的な変化」を数字で比較した部分は、移住を検討する人が、この情報をプラスと取るか/マイナスと取るかを考えさせる余白があり、面白いなと思いました。読み物としての力、資料としての価値、移住によって変わったご自身の価値観の描写。すべてのバランスが良く、読了後、この方は何者なのだろうとお名前を検索してしまいました。
~移住で実現した豊かな暮らし~
家族5人で妻の実家のある広島県竹原市に移住したのが2017年。
ですので、妻はUターン、自分にはIターンとなります。
瀬戸内のおいしいものや前向きでおもしろい人たち、凛とした街並みと出合い、「自分もこの街を輝かせる一員になりたい」と、移住と料理店開業を決めた時のワクワク感が伝わってくる文章でした。子育て世代にとっては関心が高い子どもたちの通学事情や、自然がすぐそばにある暮らしぶりにも触れられていて、心身ともに健康的な暮らしぶりが目に浮かびます。地元食材を主役にした料理を食べに、竹原市のお店に行きたくなりました。
思い切ってUターン移住して良かった!〜私の人生の可能性を広げてくれた広島移住〜
初めまして、広島生まれ・神奈川育ちの28歳、Can of cokeです。現在、第一子を妊娠中で2024年12月上旬に出産を控えています。今回はZ世代でもある移住者としては比較的若い私がなぜ広島移住を決意するに至ったか、丁寧にご説明できればと思います。
広島出身のご両親のもとに生まれ、神奈川県で育った28歳の筆者は、両親の希望で大学進学のタイミングで家族と共に広島に移住し、社会人2年目までの6年間を広島で過ごしました。その後、結婚を機に東京へ転勤したものの、コロナ禍での東京の生活に不安を感じ、東広島市へ移住。平和公園で外国人観光客向けのガイドを始めたそうです。ご自身の得意なことを活かしながら、まちの資源に目を向けて前向きに夢を描く姿。ご家族のこれからが楽しみです!
枠組みをすり抜けて
京都でシステムエンジニアをやっていた人間が、広島東部の山の中、神石高原町で農家をやることになりました。
別に田舎暮らしに憧れがあったわけでもなくて、諸般の事情から入念に準備をしてやってきたわけでもありませんでした。
インドア派で内向的、現実よりも本とインターネットの中で生きてきた時間のほうが長かったと自己評価する男の3つの激変した移住暮らし。まだ入り口に入ったばかりだが、それでも、何とかなっていると移住暮らしを評価しました。心の動きが面白かったです。
はじめての広島、はじめての子育て〜自然とあたたかなまなざしの中で〜
2020年の冬に埼玉県から広島にIターン移住しました。私自身は関東の出身で進学や就職で関東圏を点々としていて、結婚後しばらくして夫のUターン転勤で広島に来ました。
最初の方に「太平洋の勇ましい海とはまた違う、瀬戸内のおだやかな波」との描写がありますが、私も小田原生まれで、感覚としてすごく分かりました。本当に、同じ海でも全然違うんですよね…! 移住先の廿日市市ではペーパードライバーでも移動がしやすいなど、広島県沿岸部の暮らしやすさが具体的に伝わってくる文章でした。ご親戚が近くにいない心細さなど、育児で起こりうるデメリットも書いておられて、同じ境遇の方には特に参考になりそうです。
その他、審査員から
評価の高かった作品をご紹介
前回の作品
2021年夏に東京から広島に移住したCGデザイナーのカワバタです。以前は東京やカナダのゲーム会社で3Dキャラクターを作るお仕事をしていました。出身は大阪でその後仕事で横浜、東京と主に都市部を転々とし、数年前にカナダのトロントにも2年ほど住んでいました。
ちょっとだけ長くなりますが、アラフィフで子供がまだ小さい(転居時、長女9歳、同、長男4歳)私たち夫婦が移住するまでの経緯を書いてみました。
東京から家族で安芸郡坂町へ引っ越してきた。
友人や親戚、不動産屋さんからも「広島県にご家族がいらっしゃるんですか?」と聞かれたけれど、わたし自身なんの縁もなく、夫が広島のお好み焼きが好きで、その上 大の釣好きであるのが理由でここまでやってきた。
我が家はシングルファミリーである。
無謀にも、シングルファミリーのIターンをやってのけた。
実家がある新潟から離れての、Iターンである。たまたま仕事で1~2か月に1度出張で広島県に来ていたというだけで、直感で流れ着いたのが尾道。
瀬戸内海にある離島に、なにかに導かれるように家族で移住した話でした。移住先は多くの場合、田舎であり、移住した場合に悩むのは子どもの教育です。離島を選んだのは大の島好きであり、子どもの頃に育ったのは明石市で、瀬戸内海は心の故郷で海の見える場所で暮らしたかった。そのことを実現するための過程が丁寧に描かれ、10年後の暮らしへの思いも述べられ、説得力がありました。