kasagoさん
東京都から移住 会社員(正社員) 30代後半

東京で働いていたとき,夫は,全国各地の自治体をまわり,地域を「外側」から応援する仕事をしていた。
出張だらけで家を空けることばかりだったが,出張から帰ると,「〇〇島の塩」とか,「□□村の(猛獣)カレー」など,変わったお土産と,地方で生き生きと生きる人々の土産話が聞けた。

「自分も『プレーヤー』として地域に「内側」から関わりたい」と言って移住の提案をされたとき,なるほど...と妙に納得した。『プレーヤー』という響きが良かったのかもしれない。

移住して,古民家カフェをひらく...
移住して,有機農法で本当においしい野菜を発信する...

移住という言葉になんとなくオシャレ感・時代の最先端感が漂い始めたのは,私たちが移住を決める数年前から。オシャレな雑誌などが,こぞって取り上げる移住者の方々が,「移住」して「何か」面白いことをしている「プレーヤー」であり,その「プレーヤー」たちが漏れなく暮らしを楽しみ,同じように地域で「何か」面白いことをしている「プレーヤー」仲間と,いい顔して笑っている。

私もなんとなく時代の最先端感を抱きながら,広島は江田島の地にやってきた。

しかし,私の仕事は,東京でも広島でも変わらず学校の先生。
通勤が,電車から車。生徒たちの発する言葉が,東京の言葉と広島の言葉。それくらいの違いしかなく,忙しさも仕事の内容も,大差なし。ちょっと距離の離れた転勤感覚だった。

それでも,通勤の運転中は,海を船が行き来し,生まれて初めて見る潜水艦も多数碇泊するなど...十分に「違う地」は実感していた。さらに,休みの日は,晴れて「プレーヤー見習い」となった主人の関係で,島の先輩「プレーヤー」の方々に誘っていただいてBBQをしたり,いろいろなお話を聞いたりと「違う地」に居心地の良さを感じていた。

庭には大きな木,海の見える古民家。昔からぼんやりと夢に見ていた理想の家に出会い,住み始め,家族ぐるみで助け合える近所の大親友家族に出会ってからは,「違う地」が「私の場所」へと確実に変わっていった。主人も,人のご縁に恵まれ,江田島を内側から元気にする「プレーヤー」の1人になっていった。
豪雨災害により,長らく断水したときですら,ここにいたいと思え,コロナ禍での外出自粛もまるで苦にならなかったのは,この地を心から好きになっている証拠だと思えた。

しかし,そんなコロナ禍で主流となったオンライン会議をきっかけに,私は少しの間,迷うことになった。

夫は,家でオンライン会議をすることがある。夫のパソコンの画面に映し出される人々は,各地で「何か」面白いことをしている「プレーヤー」の面々で,聞こえてくる会話も,常に新しいことにチャレンジし,攻めている感じに受け取れる。まさに「何か」の真っ最中!といった感じがする。
「移住」して「何か」面白いことをしている「プレーヤー」

......私は?
住んでいる場所が変わっただけじゃないか。私は「移住」して「何か」しているだろうか。移住前に雑誌で見た「移住者」ではない自分...これでいいのかな...と。

けっこうな大きさのモヤモヤした気持ちだった。
しかし,この大きなモヤモヤは,何とも簡単な出来事で晴れてしまうのである。

休日の夕方。
夫は,仕事。
子どもたちが言う。「ママ,海まで散歩に行こう。」
日が傾き始め,私たちの住む江田島の西側では,本当に美しい夕日が拝める時間。
子どもたちは海まで猛ダッシュでかけていく。坂道を下り,海沿いの道までくる。3歳の息子が「きれいな空」と言って手を引いてくれた。走るのが大好きな7歳の娘が,遠くからこちらを見て「あっ!パパ!」と叫んだ。主人の車がたまたま通りかかる。「散歩?」「うん!」と短い会話を交わしてわかれる。

家では喧嘩も多い姉弟だが,海ではなぜか絶対に喧嘩しない。常に二人とも大いに上機嫌だ。訳を聞けば,「家にはものがたくさんあるから」という深い答えが返ってきた。海に入らなくても,「宝を見つけた!」とシーグラスや貝殻を拾う,面白い形の流木を並べる,砂に埋もれる,寝転ぶ,そしてただただ走る...。小さな手が,どんどんお宝を持ってくる。娘が,プラスチックごみと自然のごみの違いを弟に説明している。「これはしぜん!」と木を海に投げる弟。しばらくして合流した主人と海岸を追いかけっこし,肩車で帰った。

全部の答えは,日常の夕方散歩の中にあった。

きれいだと思える景色の中に安心して走っていけること。お父さんも仕事終わりに,海で遊べること。子どもたちの想像力が,すべてを宝にしてしまうほど豊かなこと。子どもたちの中に,海を大切にする心が育っていること。
なんだ。私,「移住」して,ちゃんと「何か」しているじゃないか。

生活の場所が,大きく変わった。
珍しかったものが,日常になっていく。
悩みや迷いが生まれることもある。
そして,ここで生きることが,心地いいと,日常の些細な場面で気づかされる。

5年半前に,「移住」した...のではなくて,心の移ろいも含め,少しずつ少しずつ本当に移り住んでいくのだと思う。
私の「移住」はまだ始まったばかり。
日常に転がる小さな心地よさに,1つでも多く気がつける心を大切にしながら,ゆっくり移り住んでいこう...。

移住のステキを
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