Uターン市長さん
神奈川県から移住 30代後半 その他

ふるさとへ戻ってきて

20183月、私は広島県三原市にUターンしました。32歳のときです。

物心ついたときから三原で育ちましたが、20043月に高校を卒業してからは、広島県外で進学・就職をしました。ちょうど14年という年月を経て、三原に帰ってきたことになります。

県外在住中も帰省の機会はありましたが、そのときには気づかなかったふるさとの魅力も、移住することで見えてくることも少なくありませんでした。例えば、地元産のみかんの濃厚な味わいや人の温かさなど、社会人としての経験を積んだからこそわかることもたくさんありました。

三原の活性化を目指して

私が三原に帰ってきたのは、明確な目的があったからです。それは、三原の活性化を目指して力をつくすためです。

そのような大目的に向かって、Uターンしてすぐに取り組むことも具体的に決めていました。それは、EdTech(エドテック)を活用する教育事業です。住民票を三原へ移すなどの移住手続きを終えた翌月には、法人を設立して事業をスタートさせ、学校でのプログラミング教育必修化に向けた追い風にのりながら、国の事業を請け負うなど取り組みを進めました。

教育事業への思いには、県外で感じたこともベースにありました。関西、東海、関東の複数のエリアで暮らして気づいたことが、教育機会の地域間格差です。しかし、これはデジタル活用などの工夫次第で解決できるはずで、「三原で育つ子供たちに最先端の教育を提供したい」という思いをかたちにできると思っていました。微力ではありましたが、こうした活動をとおして、三原の活性化に貢献できたと思っています。

Uターンによって、新たな出会いに支えられて

新たな人との出会いにもめぐまれました。三原はまちがコンパクトであるため、人とつながる機会にめぐまれていると感じました。

ワークショップに参加したときに、話が盛り上がったメンバーはたまたまみんな1985年生まれでした。彼らも進学や就職を機に一度は県外へ出たのですが、それぞれ思いを持って三原へUターンしてきたようでした。その後、定期的に情報交換し、ともにイベントを開催するなど、力をあわせることができました。

また、三原の人は、移住者に対して優しいと思いました。ロボットプログラミング教育の取り組みで商店街との連携事業を実施する際も、「三原のために頑張りんさいね!」「三原に帰ってきてくれてありがとう!」など、温かい応援の言葉をかけていただきました。頑張る人を応援する三原の特長に支えられて、人の輪がじょじょに広がっていき、一つずつ活動を積み上げることができました。

思いをかたちにするフィールドを

地方へ移住する目的は、さまざま考えられると思います。

私が実体験に基づいてお伝えしたいことは、「自分の思いを実現する最適なフィールドを選ぶために、移住を検討してみては」ということです。

三原は、まちの活性化や課題解決に資する取り組みは、多くの人が歓迎して協力してくれます。また、都会で実践するよりも、メディアにとりあげられやすいと思います。三原市行政としても、新たなチャレンジを全力で応援する体制をとっています。

冒頭の写真は、静岡県発ベンチャー、JR西日本、地元の事業者や生産者などとのコラボによって、令和39月に三原駅に駅ナカ八百屋がオープンしたときのものです。新たな取り組みが三原で生まれていることをとても嬉しく思っていますし、今後もチャレンジする人を応援していきたいと思っています。

もし思いをかたちにしようとするあなたの活躍の場として、三原を選んでいただけるのであれば、心から歓迎したいと思います。

移住のステキを
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