一度しかない人生,自分はどのように生きていきたいか、どこで暮らしていきたいか。私は自分に正直に生きたい。「夢や理想は抱くものではない。叶えるものだ。」と,そう強く自分に言い聞かせてきた。その到着地点が,ここ広島だった。
蝉の鳴き声を背景に,真夏の太陽が広島の街を色鮮やかに照らしていた。私の広島との出会いは,中学2年生の夏休みだった。街を我が物顔で走る路面電車。街中を赤く染める県民の誇りカープ。収穫したばかりの牡蠣や他県ではなかなか食すことのできない広島のお好み焼き。ゆったりしっとりと佇む島々が浮かぶ瀬戸内海と、遠くに聞こえる渡船のポッポッポッポという音。そして,そこに響く広島弁の温かな日常の話し声。海なし県で生まれ育った私には,何もかもが新鮮で,そして、その全てを羨ましく思った。それから私はこの地の魅力に惹き込まれ,毎年のように幾度となく訪れ,いつの間にか「広島ホリック」となっていった。
路面電車の線路が,街の中へと私を誘っていく。乗り込めば,ガタゴトという揺れと,時折鳴るブレーキ音に,時代を超えた居心地の良さを感じる。車内放送に耳を傾ければ,ローカルな情報を手に入れることができる。道路の真ん中を,堂々と走るその姿は,まるでこの街の真髄である。長い間,生活に密着して人々を運んできた歴史と逞しさを感じる。
本通り商店街を歩けば,どこか懐かしい商店街のテーマソングが流れてくる。ちょっとレトロなそのメロディとフレーズは,懐かしさと安心感を与えてくれる。そして,何度も訪れてきた私にとっては,「広島に帰ってきたな~」と実感する場所でもある。こんなに今も商店街が元気な街は,珍しい。
私の人生の転機は,雷が落ちた衝撃のようなものだった。数年ぶりに広島を訪れ、街を歩きながら平和記念公園に辿り着いた時である。木漏れ日の中、親子連れの散歩をしている姿が目に留まった。その瞬間に、ストンっと、私の中に何かが落ちた。なんでもない週末の、きっと、彼女たちにとっては何気ない、当たり前の日常だったのかもしれない。ただ、私にはそれが眩しいほどに輝いて見えた。長年『広島好き』という言葉でまとめていた私に、気づかせてくれた。この公園や川や街を感じながら生活するという日常を過ごすことを、夢として抱くのではなく、叶えるのだ!と、決意とも言える想いが溢れてきた。「ここが,私の生きる場所だ」ということを。
私は今、広島に暮らしている。あの平和公園の決意から一年後には、広島に移り住むことができた。想いは伝わる、叶うということが、より一層自信へと繋がった。そして今、広島に移住して一年半が経ち、私は広島県民として暮らしていることが誇らしい。
路面電車に揺られて出勤し、仕事終わりにお好み焼きをカウンターで食べること。職場の同僚や友人たちに囲まれて、広島弁の言葉の温もりを感じながら、出会った人々と仲良く過ごしていること。週末には赤いユニフォームに身を包み、カープ観戦をしていること。時には、瀬戸内を眺めながらサイクリングをして、潮風と一体になること。山の恵みの釣りやキャンプで自然を満喫すること。このような夢に見ていた、憧れていたものが、どれも全て今の私の暮らしとなり、日常となっている。勇気を出して一歩踏み出した、あの時の自分を心から讃えたい。そして、思っていた以上に広島は奥が深い。まだまだ、出会いたいもの、経験したいこと、まだ見つけられていないものがたくさんある。この身体に、もっと広島を染み込ませていきたい。骨の髄まで、広島人になれるように。
移住はゴールではなく、新しい世界へのスタートラインに立つことである。広げるも、深めるも、自分次第。だから、無限に可能性がある。人の数だけ人生があるように、移住の形も十人十色。私は、これからも私の人生、私の色に染めていきたい。