ジェラートのうさぴょんさん
20代後半 沖縄県から移住 専業主婦・主夫

私は結婚を機に、沖縄から広島へ引っ越してきました。

主人の転勤先が広島になったことで、それを機に結婚し私も広島へついて行くことに。

実は私、沖縄から一度も出たことはなく、ましてや広島に行ったこともありませんでした。

沖縄は地元愛が強い人が多く、それが行き過ぎて小さい頃から「結婚後は沖縄がいいよ~ナイチャー(県外の人)は厳しいよ~」と周りからはよく言われていました。

その環境で育ってきたので、初めて沖縄から出るのに正直不安はありました。

月日が経ち、広島に引っ越してきて1年。

沖縄でできなかったことを広島で体験できることがたくさんあって、毎日がとっても楽しい!

まずは春夏秋冬を肌で感じることができる。

沖縄では着れなかった春服、秋服といったおしゃれも楽しめる。

桜、紅葉は見頃になったらすぐに見ることができる。

高速道路や新幹線を使えば、日帰りで県外にも行ける!

沖縄出身の私からすると、皆さんの日常は私にとって特別なものです。

そんななか、広島での生活で1番印象的で、私が広島に引っ越してきてよかった、広島がもう一つの居場所になったと思ったのが『平和教育』です。

沖縄も戦争でたくさんの人が亡くなり、今の日常は当たり前じゃない、戦争は二度とあってはいけないことを次世代へ繋げていく『平和教育』が充実しています。

そのため沖縄戦が終わった6/23通称慰霊の日は、12:00ちょうどになると老若男女問わず必ず黙祷をします。

そして戦争を知らない子どもたちは、戦争体験者から話を聞いたり、戦争に関する絵本を読んだりして、毎年戦争について学んでいきます。

そういった平和を願う活動を広島でもやっていることを知って、私と広島が通じ合うきっかけになりました。

ある日広島城付近を散策していると、60代くらいの男性が声をかけてきました。

男性は、「明日は原爆投下の日。忘れてはいけないあの日のことを私達は語り継ぐための活動をしています。よかったら話を聞いてくれませんか?」といい、話を聞くことができました。

たまたま話しかけてくれた場所に大きな木がありました。その木の下で話を聞いていました。

「この木、私達二人の屋根になるほど大きいのに、ちょっとおかしいところがあるんだよね。」と話しかけてくれました。

私は全く気づきませんでしたが、男性は
「木の後側には根っこが盛りもり張ってるのに、前側には全くないの不思議じゃない?」と言いました。

たしかに木は大きければ大きいほど根も大きく張るのに、前側だけ根っこがありませんでした。

私が不思議そうに見てると、男性は教えてくれました。「この木も被爆してね。前側の根っこは放射線の影響を受けて、根っこが生えなくなったんだよ」

大きな被害を受けた原爆ドームから、約1キロ先にある大きな木も被爆してるのだと知って、原爆の恐ろしさを肌で感じました。

植物も被爆の影響を受けたので、人体にはもっと影響があったと考えると、これは語り継いでいかなければいけない、絶対忘れてはいけないと感じました。

平和について考え、戦争のことを語り継いでいく『平和教育』。

『平和教育』が私と広島を繋いでくれました。

戦争のことを忘れてはいけない、平和を考えるマインドを広島でも感じることができ、沖縄と通ずる部分があってとっても嬉しかったです。広島は私の第二の居場所になりました。

恥ずかしながら原爆投下の日のことについてはまだまだ勉強不足です。

これからはもっと勉強して、将来子供ができたら、そして沖縄へ気軽に帰れるようになったらきちんと語り継いでいきたいと思います。

移住のステキを
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