銀賞
2024
池田 瑛一さん
男性 20代 東京都から移住 会社員

どんどん満たされていく

「わっしょいわっしょい」

肩の痛みを紛らわすように大きな声を出す。お宮さんのご近所の商店を必死に目指し、高く神輿を上げる、最後の「わっしょい」を振り絞る。神輿を下ろし脱力した身体で、振る舞われた御神酒「神雷」を、一升瓶でぐいと呑み込んだ。

2024年8月に妻と2人で、神石郡神石高原町へ移住した。神石高原町は標高500mの中山間地域に位置する人口約7,800人の町である。

旧3町1村から成り、それぞれの地域でイベントやお祭りがあり、すべてに参加すると休日はいっぱいになってしまう楽しい町。澄んだ空気と、当たり前のように綺麗な星空を楽しめる素敵な町である。

故郷を求めて

私は次の2月で29歳を迎える。出身は東京で、大学卒業まで東京の実家で暮らした。いわゆる故郷、というものが自分には無いと感じていた。盆正月に田舎へ帰省する友人を羨ましくも思っていた。東京には家族や旧友もいるため、その意味で故郷ではあるが、地元のお祭りも知らないし、馴染みの商店があるわけでも無い。

そんな私にも自分では第二の故郷と思っている町がある。福島県いわき市だ。新卒で都内の金融機関に就職し、はじめての勤務先(赴任地)がいわきであった。
「任地に根差し、任地を愛する」をモットーに、その町の歴史や文化などを仕事や私生活を通じて勉強した。3月11日の午後2時46分には毎年サイレンが鳴る。その1分間、本当に時が止まったかのように町中が静まり返る瞬間は、いまでも鮮明な記憶として残る。「外から来た者」として、その町の歴史や文化を学びながら、徐々に地元の方々との会話のなかで共通言語が生まれていくことがとても嬉しかった。

その後、転勤にて東京の配属となった。東京への転勤は羨まれることもあった。大企業との規模の大きい取引や、豪華なお店での接待など、一見きらびやかな仕事も増えた。一方、「地域のために」と思いながら働き、小さなスナックで打ち上げをしていた頃を振り返り、そのときの自分の方が生き生きとしていたのでないか、通勤の満員電車のなかで悶々と考えていた。

あるとき妻が、転職先を探していたらたまたま広島県の小さな自治体の「町おこし」を行なっている事業者を見つけ、気になっていると相談があった。転職かつ移住、という大きな決断。お互い馴染みのない土地で、給与面でも下がるという、おおよそ合理的に考えれば決断できない選択であるはずだが、気持ちも心も「行きたい」と言っていた。

移住を決める前に、神石高原町に訪問した。町のなかを移動する車窓から、素朴だけれど綺麗な田園風景に目を奪われた。町長や採用先の代表ともお話しをさせていただいた。道の駅やガソリンスタンドなどで町民の方々ともお話しをした。皆さん一様に「東京からこんな何も無い町に移住を考えているなんて…」とおっしゃっていた。私の目には、何もかもが新鮮で、少しの不安もありながらも「この町で暮らしていく」ことへの気持ちの高ぶりでいっぱいだった。

自分の足で歩く

移住して4ヶ月が経った。引っ越してからの数日をありのままに伝えれば、自宅のベランダの蜘蛛の巣をとり、夏場の元気な虫たちと格闘し、ひっつき虫だらけになりながら庭の草刈りをし、少し大変な日々だった。自分の生活の場を、自分で整えていくことの大変さを実感するとともに、より一層新居に愛着が湧いた。そして、数日間の格闘の末、安寧の住処を手に入れたのである。

東京での暮らしと比較して、物理的な生活の変化を自身の備忘録も兼ねて記載する。

  • 家を出る時間:【東京】7:00→【神石高原町】8:00
  • 家に帰る時間:【東京】22:00→【神石高原町】20:00
  • 夕食:【東京】外食かデリバリー→【神石高原町】自炊と時々外食
  • 朝食:【東京】食べない→【神石高原町】毎朝パンとヨーグルト
  • 通勤:【東京】電車と徒歩で40分→【神石高原町】車で15分
  • 休日の過ごし方:【東京】友人との飲み会、時々小旅行→【神石高原町】地域のイベント・お祭りへの参加、1週間分の食料買い出し、中国四国旅行
  • コンビニ:【東京】徒歩2分・24時間→【神石高原町】車で10分・21:00閉店
  • 家賃(2人):【東京】マンション月19万円→【神石高原町】一軒家月5万円
  • ご近所付き合い:【東京】隣の部屋の方の顔しか分からない→【神石高原町】毎月1回住んでいる地域の自治会に参加。一緒にゴルフなども。
  • 買い物:【東京】徒歩10分・駅ビルのスーパー→【神石高原町】車で30分・隣の町のスーパー

精神的にはどうだろうか。とても充実している。

人によっては良さも悪さもあるだろうが、仕事と私生活が連動している。私生活で知った町のことを仕事で生かし、仕事で知り合った方々に私生活で助けてもらう。東京での生活では分断されていた「仕事の自分」と「私生活の自分」が、今の生活では「1人の自分」として人生を歩んでいる、自分の足で歩いている、そんな感覚がしている。

どんどん満たされていく

神石高原町で生活を始めてから、自身の生活に関する知識が、いかに足りないかを痛感した。移住する前までは、一丁前にパソコンに向かい社会人らしく振る舞っていたのに、草の刈り方が分からない、机の組み立て方も分からない、お米がどうやって作られるのかを知らない、味噌は、お酒は、ビールは。きのこはいかにして育つのか、どう探すのか、ハチミツは、こんにゃくは。薪はどうやって調達するのか。肉牛は何ヶ月で食べられるまでに成長するのか。ぶどうはどうやって育てられるのか。家庭菜園するにはどうやって土を作るのか。

すべて町や職場の方々に教えていただいた。

教えていただくと、次は自分で育ててみたくなる、つくってみたくなる。

最近では妻とともに、一枚板の大きな机づくりを楽しんでいる。町の方から、ありがたいことに立派な木の一枚板をいただき、ヤスリをかけ脚をつけ、ニスでコーティングし…。自分達にとっては多くの難所をくぐり抜けて、完成間近となった。東京で暮らしていた頃、机は「買うもの」であり、「つくろう」という考えは浮かばなかっただろう。買えば早いし、もっと質の高い品が手に入るのだろうが、自分達で作る方が幸せを感じるのである。

自分の生活、食べるものや使うものが大きく変わった訳ではないけれど、自分の生活に対する解像度がどんどん上がっていく。

解像度が上がるほど、食べ物はどんどん美味しくなる。身の回りのものへのありがたさや愛着が増していく。
どんどん満たされていく。

最後に

記載したとおり、移住してからとても充実した日々を過ごしている。近所にスーパーが無いなど、少し不便と感じることもある。しかし、不便ではあるが幸せである。こんなぼんやりとした気持ちを、文字で整理したく書き連ねたが、理路整然とは至らず恐縮である。

「地方での暮らし」に興味のある方や、「都会での暮らし」にちょっとした物足りなさを感じている方が、移住という選択肢を考える際、ほんの少しの参考となれば本望である。

審査コメントあり!
審査員 山根 尚子

まず書き出しのインパクト。そして文章のリズム感。なんだろう、と引き込まれて最後まで心地よく読めました。東京と神石高原町の「物理的な変化」を数字で比較した部分は、移住を検討する人が、この情報をプラスと取るか/マイナスと取るかを考えさせる余白があり、面白いなと思いました。読み物としての力、資料としての価値、移住によって変わったご自身の価値観の描写。すべてのバランスが良く、読了後、この方は何者なのだろうとお名前を検索してしまいました。

移住のステキを
共有するアワード