特別賞
2024
Can of cokeさん
20代 東京都から移住 女性

思い切ってUターン移住して良かった!〜私の人生の可能性を広げてくれた広島移住〜

〜まえがき〜

初めまして、広島生まれ・神奈川育ちの28歳、Can of cokeです。
現在、第一子を妊娠中で2024年12月上旬に出産を控えています。
今回はZ世代でもある移住者としては比較的若い私がなぜ広島移住を決意するに至ったか、丁寧にご説明できればと思います。

令和元年4月より広島の中小企業で約5年間働いていました。
コロナを広島と東京で経験し、日々の生活・働き方・結婚・子育てなど、様々なジャンルにおいて、将来に不安を覚え、広島Uターン移住をしました。拙い文章ではございますが、20代の方でこれからの人生どうしたら良いのかと、悩んでおられる方に何か少しでも私の経験談が活かしていただければ幸いです。

広島に移住するまでの経緯

〜自称、神奈川県人の私(※今回のベイスターズの日本一は素直に嬉しい笑)〜

私の両親は広島出身です。母の里帰り出産で私の出生地は呉ですが、父の仕事の関係で高校卒業までは横浜市・藤沢市に住んでいました。「アイデンティティーは神奈川県人!」と信じ(今もそう信じています笑)、育ちました。転機は大学進学です。かねてから両親が切望していた広島へのUターンが父の転勤という形で決まり、高校3年生だった私は「面白そうだし、ついて行ってみよう!」と、修学旅行や夏休みの帰省でしか知らない広島へ軽い気持ちで行くことにしました。

〜広島での6年間、葛藤の末にオアシス〜

大学では主に中国・四国・九州出身の友人に囲まれ、今までとは違う人付き合いが始まりました。

あくまでもこれは私の勝手な解釈ですが、関東と西日本では差があるように感じます。
関東ではあえて深く介入しない「個人主義」ですが、西日本は協調を大事にする「集団主義」を重んじていると感じました。

広島での大学生活がスタートしたばかりの頃はそんな見えない西日本ルールに戸惑いました。
それに加え、通学時に利用する電車の座席がボックスシートで、全く知らない人と4人グループで向かい合わせに座るのはストレスでした。
鹿や猪との衝突、線路内に竹が倒れたなど、今まで聞いたことがない理由で電車が止まり、大雨の予報が出たらあっさり明日は終日運転見合わせとなることも。

広島1年目は自分の決断を強く悔いました。

そんな私でしたが、慣れは不思議です。

広島4年目になる頃には広島の良さが分かり、無意識のうちに魅了されていました。

町がコンパクトであること、人と人との繋がりが心地よいこと、自然に囲まれていること、お好み焼が美味しいこと(恐らくこれが一番大きい笑)など。

広島は私が思っていた以上に私にピッタリだったのです。

そのため、大学卒業後の就職先は迷わず、広島の企業を選びました。
広島で2年ほど勤務し、結婚を機に東京へ転勤しました。

〜東京での生活にピリオド、退職・妊娠〜

東京での生活はコロナ真っ只中であったこともあり、狭い部屋でテレワーク、外出は近所のショッピングモールへ食料品の買い出しのみといった、昨日と今日が入れ替わってもまるで気がつかないような毎日。コロナが明け、出社が推奨されると、満員電車で毎日往復3時間、座席を椅子取りゲームのように取り合いながら通勤しました。

週末に気分転換と思い、出掛けても皆考えることは同じでどこも人で溢れ、逆に疲れました。
そんな生活を2年ほど続けましたが、「結婚して、温かい家庭を築きたい」と思っていたのにそんな余裕がなく、理想と現実の溝は深まるばかりでした。

夫にそんな心境を相談し、話し合いました。夫婦揃って、思い切って勤めていた会社をそれぞれ退職し、1年間という期限を設けて、興味のあることに挑戦する1年を過ごそうと決断しました。

私は観光と農業に興味があったので、インバウンドを英語でガイドするアルバイト、地域の農業大学への通学を始めました。夫も農業に興味があり、ベランダ家庭菜園、援農ボランティア、お菓子の製造・販売をスタートさせました。

ゆっくりと穏やかな時間が流れ始め、国内旅行を楽しむ余裕も出来ました。
結婚2年目にして初めて幸せな結婚生活を実感しました。

そんな生活が4ヶ月ほど経った頃、私の妊娠が判明。
早速、近所の産婦人科を受診しようとしたのですが、「さすが東京!」平日でも予約はなかなか取れません。
また、予約をしても2時間ほど待つのが当たり前で、診察はわずか10分ほどで流れ作業のように終了しました。

そんなことが何度か続き、一抹の不安が募りました。
妊娠をきっかけに日々の暮らしの中で「子供が生まれたら、、、」と仮定し生活をしました。

「東京で私は子育てができるのか、そもそもしたいのか、、、」と自問自答を繰り返しました。
そんな時に夫から「広島で田舎暮らしをしたい!」と提案がありました。豊かな自然の中、のびのびと子育てをしようとのことでした。

具体的な移住先の候補は東広島市で、私は学部生としての4年間、夫は留学生としての1年間、大学生活を送った思い出の地であり、全く土地勘がない訳ではありませんでした。私の両親の実家も車で30分というアクセスの良さです。

「これ以上、良いタイミングはない!決断するなら今だ!」と子育て支援も充実している東広島市への移住が決まりました。

移住準備

そうと決まればすぐに準備に取り掛かろうと、5月に1週間ほど広島に滞在しました。
滞在の主な目的は私の両親への妊娠報告と物件探しでしたが、他にも夫婦それぞれでやりたいことがありました。

私は東京で始めたガイドのアルバイトが広島にもあるとのことで、実際に先輩ガイドのツアーを見学させてもらいました。資料館や平和公園、原爆ドームを巡る5時間のウォーキングツアーです。
東京でのツアーのように写真撮影の補助や日々の暮らしについて話すサクッとした2-3時間のツアーとは異なり、昨今の世界情勢について意見交換する機会もありました。

ツアー終了後、「私がずっとやりたかったのはこれかもしれない!」と久しぶりにワクワクした気持ちになりました。

私の祖母は戦時中、広島市の中心部に住んでいたようです。そして、祖母の母が「広島の中心部だけ、まだ空襲も何もないのは変だ、嫌な予感がする」と庄原に家族で疎開し、原爆の被害を免れたという信じ難いエピソードの持ち主でした。私が夏休みの帰省で広島を訪れるたびには平和公園や原爆資料館へ足を運び、広島県外に住む孫の私に平和教育を施してくれました。「今、私たちが生きているは奇跡なんよ」と言われてきました。

また、大学生時代に平和公園のボランティアガイドをしていたことも手伝い、広島移住後、体調の許す限りガイドのアルバイトを広島でも続けられることになりました。

一方、夫はネットで見つけた気になる農場にコンタクトをとり、5日間のお試し研修をさせてもらっていました。そして、長期的な研修をすることが決まり、早速9月から始まることになりました。

移住してからの変化

8月より、東広島での生活がスタートしました。

東京と比べると不便なところは確かにありますが、それ以上に自然に囲まれていること、時間の流れがゆっくりで、人や町が穏やかであることが勝り、不思議と何も不満に思うことはありませんでした。車を持ったことも大きいですが、週末に市内の古民家カフェを訪れたり、家族や大学時代の友人を家に招いたりと充実した日々を過ごしています。行く先々で心地の良いコミュニケーションが取れることも多く、「東京から移住してきた」と伝えると暖かく歓迎されます。他の移住者の方ともお話が出来たり、広島に来て良かったと常々実感します。

私のガイドのアルバイトですが、分娩予定日の6週間前まで、週に2回のペースで行いました。
ゲストの皆さんは強い平和学習目的を持ってツアーに参加されています。「日本に来たからには広島にどうしても足を運んで、原爆から復興した姿をこの目で見たかった」と東京や京都・大阪から日帰りで「弾丸登山」ならぬ「弾丸広島」を強行されていたり、「今日の夜の羽田からの便で帰国する」という驚くべき方までいらっしゃいました。
こちらとしてもただ広島の歴史を伝えるだけでなく、平和構築や非核についての意見交換が出来ることは勉強にもなり、質問も真面目なものが多いのでやりがいを感じました。

しかし、70%強と言っても良いでしょうか、ゲストの皆さんは広島に宿泊はせず、拠点としている京都・大阪・東京に日帰りで戻ってしまいます。

是非とも、自然豊かな東広島にも特に日本3大酒どころの西条にも足を運んで欲しいのですが、現状は厳しいです。宮島も意外にも認知度は低く、行かない方もいらっしゃるのには驚きです。早朝の新幹線で来て、夕方の新幹線で戻るため、残念ながら広島のソウルフードお好み焼も食べないのです、、、(一番信じ難いのはここです泣)。この経験から、移住からまだ半年も経っていないのですが、将来の夢が出来ました。広島の田舎を楽しむツアーを企画し、催行したいです。

例えば、東広島の田園風景を見ながらピクニックや古民家カフェ巡りを楽しんだり、人々の暮らしを疑似体験出来るようなディープな田舎体験ツアーを提供したいのです。
夫の就農が本格的にスタートしたら、農業体験ツアーも企画したいです。

また、マタニティー・キッズフレンドリーなツアーも提供したいです。日本では妊娠期間中や1歳未満の赤ちゃんの海外旅行は万が一のことを考え、一般的には推奨されていません。
しかし、東京・広島でのガイドをしていた際にアメリカやヨーロッパ諸国など優に10時間を超えるフライトで来日されている方々に遭遇しました。滞在中のトラブル等はないかと聞くと、妊娠中の方は「レモンサワーをソフトドリンクだと思って危うく飲みそうになった」や赤ちゃん連れのお母さんは「赤ちゃん用のハイチェアがある飲食店が少なくて食事の時に困った」と、マイナートラブルが起きているようでした。みんなが楽しめるオールインクルーシブなツアーの催行も将来出来たら良いなと感じた機会でした。

移住してきて、私も何か地域に根ざした事業を起こしたいと思うなんて想像もしていなかったのですが、広島へ移住された方々と直接お話して、そう思うように気持ちに変化が起こりました。

〜おわりに〜

長文になってしまいましたが、これが私のひろしま移住ストーリーです。

広島にUターン移住してからまだ半年も経っていない、日の浅い状態ではありますが、毎日アイデアが浮かび、将来の選択肢や可能性に満ち溢れ、毎日が楽しいです。
ゼロから自分の人生について心機一転、考え直しているような今までにはない高揚感を感じています。

さらに1年先はどうなっているのか想像すると不安なことももちろんありますが、それ以上に期待や楽しみの方が大きいです。
思い切って環境を変えてみると思いもしなかった道が新たに開くこともあります。
移住にはそんな人生の可能性を広げてくれることもあるようです。

取り留めのない移住ストーリーでしたが、少しでも多くの移住を検討されている方に届き、エールとなっていれば幸いです。最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

審査コメントあり!
審査員 中尾 圭

広島出身のご両親のもとに生まれ、神奈川県で育った28歳の筆者は、両親の希望で大学進学のタイミングで家族と共に広島に移住し、社会人2年目までの6年間を広島で過ごしました。その後、結婚を機に東京へ転勤したものの、コロナ禍での東京の生活に不安を感じ、東広島市へ移住。平和公園で外国人観光客向けのガイドを始めたそうです。ご自身の得意なことを活かしながら、まちの資源に目を向けて前向きに夢を描く姿。ご家族のこれからが楽しみです!

移住のステキを
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