ホシノエミコさん
パート・アルバイト 埼玉県から移住 50代

ヘタレのオバサンがほぼ無一文から移住生活を始めた顛末記

1.最初は逃げたい一心だった

わたしは2021年7月に新型コロナに感染し、後遺症と付き合ってきました。
再感染を恐れて人混みを避ける生活を続けるうち、「どうせなら人の少ないところに住めばいいんじゃ…?」と思うようになりました。
東日本大震災を通じて都市の脆弱性を痛いほど感じたことも遠因となっています。

そんな理由はあっても、結局その当時は逃げたい一心でした。
冷えた人間関係、終わりのない家事、安らげない環境…そういうもの全てから離れたかった。

とはいえ、体調が悪い状態では何もできません。
具体的に動いたのは翌年、2022年4月ごろからです。

この時は家族(夫と息子二人)には内緒にしていました。

2.移住先は割とすんなり見つかった

「行くなら広島」って決めていました。
ただし縁もゆかりもないまちに住みたい。
日本全国どこでもいいような気もしますけど、どこでもいいと言われると、かえって決められないものです。

さいたま市から都内に行くのは身体がまだしんどい時期でしたが、銀座の交通会館にある「ひろしま暮らしサポートセンター」を訪ねます。
担当は着任したばかりのIさんでした。
ひとりっ子という共通点から親との距離感を共感していただけて心強かったです。

高齢の実母が島根西部で暮らしているので何かあったときに通えること。
広島市内は学生時代住んでいて好きな街だったこと。
この2つの街に行き来できる範囲の田舎(静かで空気が良くて水がきれいで自然が豊か)ということで、安芸高田市が候補にあがりました。

そのあと5月には療養目的で2泊(たかみや湯の森・福寿荘)。
近隣を散歩するほかはほぼ部屋で横になっていましたけれど、野鳥の声が聞こえる静かなところでした。
往復の道すがらに見る民家の眺めも密集しておらずゆったりとしていて、住むならこんな場所がいいとぼんやり感じていました。

広島県は、実は沿岸地域や島への移住が人気です。
山間部は交通の便も悪いし冬は寒いのであまり希望者がいないそうなのです。
サポートセンターの方にも両方見ることを勧められ、広島市内から行きやすい江田島あたりに行ってみました。
瀬戸内の景色はとても美しいけれど住みたいとまでは思わず、改めて山間部に決めました。(移住を希望される方は両方見られることをお勧めします)

2022年の11月には民宿に5泊して、移住コーディネーターのKさんに方々案内していただきました。
民宿のHさんはじめ、お目にかかったみなさんが、肩書きではなくご自身として自分らしく暮らしておられました。
皆さん忙しいと言いながら、地域の活動に参加し、水槽で金魚を飼い、畑で野菜を作り、犬や猫と暮らしています。
このゆとりはいったい何だろう…?

滞在期間中は動いている割に体調が良く、あらためて空気や水のきれいなところで暮らしたいと感じました。
またKさんには「ホシノさんは都会に暮らしているのに流れている時間がゆっくり」と言われました。
療養で世捨て人のような暮らしでしたがそれ以上に、もともと自分が持っているリズムが都会暮らしとズレていることに納得もしました。

そして安芸高田市はもちろん広島市内であっても店員さんがとても親切で、ちょっとした会話が楽しめます。
広島は人の優しさを感じられるところ。

住みたい気持ちが加速していきます。

3.事態はなかなか動かなかった

2023年の初めには、家族に移住の意思を打ち明けます。
すごく勇気が要りました。
子ども二人はそれぞれ独立の時期を迎えていましたが、家族と離れ、一人暮らしをすると言うのですから。
でも思い切って話してとてもスッキリしました。

ところがそこから足踏みを続けます…

体調が思うようにならず、引っ越しに必要な体力がない
地域おこし協力隊のフリーミッションでの募集がない

結局2023年は移住に関して何もせずに終わったのです。

4.移住資金もなくなっていった

移住資金として150万円ほどを考えていたのですが、わたしが働けなくなった頃は息子達の大学進学と時期が重なりました。

療養費のほか、息子の引っ越しや課外講座代など大きな出費があるごとに移住資金は削られ、気づけば30万円ほどになっていました。
家族のための出費ですから後悔は一つもありません。
でもこれでは引越しもままなりません。

当分移住は保留にせざるを得ない。
まずは今住んでいるここで元気になって、働いて、お金を貯めて…長い道のりに気が遠くなりました。
元気になるための移住でもあったからです。

5.そんな折、母の遠距離介護が始まった

2023年の秋から母が骨折等で入院を繰り返し、一人っ子のわたしは帰省することが格段に増えました。
体力を考え、一度の帰省で1週間近くを郷里で過ごします。

母のお世話というより先々の生活場所、介護サービスの利用など、打ち合わせや見学、また生活の場が変わることに従って衣類や日用品の用意や移動もあり、余裕を持ったつもりの日程もギチギチに。
わたし自身が療養を続ける中でかなりの負担が心身にかかりました。

交通費や宿泊費は母が出してくれましたが、母が備えていたお金がこういうところで大きく削られていくことも精神的にきつかったです。

6.本来のわたしでいい

2023年は移住の具体的な動きはなかったものの、療養なおかつ引きこもっていたわたしが、ひとの中に戻っていくターニングポイントの年でした。

4月にはあるオンラインサロンに入会、ここで多くの方と知り合うことができました。
在籍した半年ほどの間に、自分のブレーキとなる思い込みなどに気づくことが多く、人への恐怖感が徐々に和らいでいきました。

療養中は自分の大切にしたいことは何かを探ってきましたが、この2023年は自分のイメージが他者からの指摘によって大きく変わりはじめた年でした。
自分の魅力は他者がいてはじめてクッキリしてくるし、活かすことができるのですね。
長年続けた自己否定を手放したいと思うようにもなりました。

2023年は、「本来の自分とは何か、本来のわたしが生きる道はどこか」を探った年だったと今は思います。
そんな活動をしながら、本当にわたしは移住したいのかも問い直していきました。

7.当面の仕事については二転三転した

移住すると決めたものの、現地での仕事については迷走と言って良いほど二転三転しました。

2022年の時点では、建築士として空き家改修、まちづくりに関わりたいと思っていました。ですが建築の仕事は金額が大きいだけに信頼や実績が物を言います。そこで地域おこし協力隊の制度を利用したいと考えていました。

協力隊員に選ばれれば、当面の生活の心配がなくなります。
そこから自分の事業にスムーズに移行できるのではと考えました。

しかし2023年度の安芸高田市の協力隊では適合するミッションがなく応募を見送りました。
体調の不安もまだまだあったので時期ではなかったのでしょう。

2023年になって、仕事に関して天地がひっくり返る出来事が起こります。
ビジネスコーチに「ノートの書き方を教えてみませんか」と勧められたのです。

この3年、自分の願いがどこにあるか、過去の出来事から感じたこと、これまで意識していなかった思い込み、読んだ本から得たこと、色鉛筆を使ったお絵描きなどをノートに手書きしていたのです。

何度やっても続かなかったブログ。
4月に始めたnoteの記事は仕事関連ではなくプライベートなものでした。

これを「ここ3年の自分の変化」をテーマにしたら継続して書けるようになりました。
ノートに手書きすることを通じて過去の捉え方が変わり、人生が徐々に変わっていったことをそのまま記事にしていきました。

そして試しに半年間のモニター講座を組み立ててやってみました。いろんなことがあったけれど、とにかく0が1になりました。対人支援へ道がつながっているようにも感じました。

2024年度の安芸高田市地域おこし協力隊にはフリーミッションの応募枠があったことから、「安芸高田でひとの願いを聴き続ける」と題して今年の一月、応募しました。

ここで、書類選考には通ったものの面接で不採用になってしまいます。
これはあくまで想像ですが、町の困りごとをストレートに解決する事業ではなかったからだと思います。

横道にそれますが、面接は最も寒い2月に行われました。
泊めてもらったのは今住んでいるところです。
比較的穏やかな日でしたが部屋の温度が朝は5℃近くになり、灯油のファンヒーター一台では温まらず、エアコンも稼働…古い民家の寒さを体感しました。厳しい時期に移住先を訪れたのは収穫でした。

本題に戻ります。
わたしは他の移住方法を探り始めました。
とにかく食べていかなければなりません。
そして療養で体力はよわよわです。

コロナ後遺症の労作後疲労は、身体に負荷がかかると悪化するのです。
感染から二年以上、何度も良くなりかけては悪化する中で、体力はかなり落ちていました。

薬剤師の資格は持っていましたが、知識は抜け落ち実務経験もほとんどなく、はじめは気乗りしませんでした。

「歳だけとって未経験で、使う方もやりにくいよね」
「時給に見合うだけの働きができるのか不安」

ですが求人を探すと、未経験でも可とするところがいくつか見つかりました。
県北では薬剤師が足りておらず時給も都市部と同じです。
短時間勤務なら体の負担も減らせます。
余裕ができれば自分の活動もできるかもしれません。
ライスワークのつもりで探し始めたけど、病院や薬局の薬剤師は対人支援職でもあります。

微かな光が差しました。

そこからさらに紆余曲折があり、研修を兼ねて6月から隣町の病院に勤務することが決まりました。
経験がないことは正直に話しています。
「何も知らないわたし」が一から学び直しつつ仕事を覚えていくことになります。

建築はどうするの?
個人の事業体として事務所は移転し残します。ものづくりはできなくてもまちづくりに関わったり、ゆたかな暮らしにつながる講座など、地域のために何かやれる余地を残したいからです。(しばらくは薬剤師の仕事を優先するため休業中です)

8.なぜ移住を急いだのか

地域おこし協力隊以外の生計の立て方で移住に踏み切ったのには理由がありました。

母の具合が安定せず、今年の4月には再び転倒して骨折したのです。認知機能も大きく下がり、入居したばかりの高齢者住宅に戻れるかどうかも危ぶまれるほどでした。(多くの方のおかげで現在は安定して暮らしています)

今年に入ってから毎月のように帰省しては対応を重ねる中で、わたしの疲労はピークに達していました。もう通いきれないと判断しての移住でした。幸い、引越しの体力はありそうでした。一年前なら到底できなかったと思います。

療養費も尽きていたので、埼玉で仕事を探すより移住先で仕事を探したかった…いろんな要因が重なっていたと言えます。

あるひとがわたしに言いました。「お母さんが移住の後押しをしてくれたのかもしれないね」

9.取るものもとりあえず引っ越し

仕事は決まりましたがお金はありません。当座の生活費は自慢じゃないが借金です。引っ越し代は何とか自力で…貯金をかき集めて出し切りました。

見学や地域おこし協力隊の面接時にお世話になった民宿のHさんの貸家が空いているとのことで、当座の間、格安で貸してくださることになりました。また車なしには通勤すら厳しいですが、大学の同期Sちゃんの厚意でなんと軽トラを借りることができました。この愛車で片道16キロを通勤します。

4月半ばに就職のめどがつき、5月18日、片道切符で広島に移動しました。夫とは不思議とケンカ別れにはならず、「今までありがとう」と言って穏やかな出発となりました。
東京発の新幹線は、あっという間に広島へ。
5月20日には晴れて安芸高田市民になりました。

自分のこと、夫と息子のこと、実母のこと、仕事や暮らしのこと…一つ一つクリアできたのは、自分を活かせる環境をあきらめなかったからかもしれません。パズルのピースを一つ一つ埋めていき、全部揃ったところで移住が実現した、そんな感じです。

10.移住直後 「ここで全てを感じ取っていく」

兎にも角にもこうして移住生活が始まりました。
歩いて2分で江の川(ごうのかわ:日本海に流れ込む一級河川。この辺りの流れは、可愛川えのかわと呼ばれています)の川土手に出られます。山々に囲まれた盆地で景色が実に美しい…これを日々堪能できます。

空気や水環境がよく、静かな場所で、わたしの身体は落ち着きを取り戻してきています。同じ料理を作ってもおいしく感じるのは、野菜の鮮度が良いのと水が良いせいかなと思っています。

負荷が大きいテレビは見ておらず、時折ラジオを聴きます。
自分を労わりながらの生活です。家事の負担も減りました。車通勤で感染症の心配もグッと減りました。

東京から離れたことで、SNSともちょうど良い距離感になった気がします。首都圏にいるとイベントが多くてそこに参加できない焦りとか申し訳なさを感じていました。自分にとっては結構な負荷だったんだなぁ。

当然ながら自分に良いことばっかりかというとそんなことはありません。

秋や初夏、寒暖の差には途方に暮れました。室内ではトレーナーやフリース。出かける時は減らしますが汗だくになることが多かったです。

一番近いスーパーは道の駅で片道3キロ、一番近いコンビニが片道2キロです。
今は季節がいいですが、冬場はスタッドレスタイヤが必須で、雪も降ります。

住まいは昔の民家ですので壁の隙間から光が入ってきます。つまり冬はここから隙間風が入るってことです。窓は多くてガラスはシングル。「断熱?なにそれおいしいの?」って世界。室内の熱はどんどん逃げていく…。寒さに弱いわたしが何とかやっていくためには、いろんな工夫や投資が必要です。

そして自然が豊かとは虫も豊かってことです…。スーパーや薬局では虫対策のコーナーが超充実! 河原を、夜間は道路を普通に歩く鹿(意外と大きい)にギョッとし、ムカデの出現に怯え、カメムシと闘いながら生活するのはちょっと憂鬱です。

それでも、折に触れて手書きのノートに書いてきたことが実現した嬉しさがあります。まだ住み始めて間がないけれど、自然の助けを借りながら、さらに自分とつながっていける実感があります。

11.移住して半年経って

病院での研修は4か月で終わり、10月からは市内の調剤薬局に移りました。
新たな環境で一から仕事を覚えているところです。
短時間ではありますが、周囲の方にも恵まれ週5日で働けるようになりました。
新型コロナ感染後、丸3年。やっと動けるようになり幸せです。

とても静かな環境で、豊かな自然に日々元気をもらっています。
落ち込んだときも美しい景色を見ると「生きていていいんだ」と思えます。
都会ではレジャーとして出かけないと見られない光景が身近にあります。
広島市内に出かけることもありますが、戻ってくるとホッとします。自分が当初予想した以上にここ安芸高田が「ホームタウン」になっているなぁと感じます。

野菜はもらえると聞いてはいましたが、本当でした(笑)。
職場から野菜を持ち帰ることになるとは思いもしませんでした。
下さった方曰く、「わしが作ったんじゃのうて、土が作ったんじゃけぇ」「そこらに植えときゃ、勝手に育つんじゃ」。

…そんなはずはないんです。天候不順、鹿や猪、カラスの被害を防ぐべく、日々知恵比べで育てておられる。
だけど自然の大きな循環の中に人がいることを体感で知っているからこそ、その言葉が出るのだろうと思います。
ちなみに推したい地元野菜はズッキーニとレンコンです。野菜のおいしさ、まだまだ発見できそうで楽しみです。

いまは体力に余裕がないこと、また今の住まいが仮住まいのため、休日等に地域の活動に参加することができていません。また他の移住者さんと交流の機会も持てていません。移住後は自分から積極的に動く必要があります。このあたりは体力と相談しながら時間をかけてやっていきます。

まずは自分の半径5メートルから、笑顔で人と人がつながる世界を見てみたい。
そして少しずつその世界を拡げてゆきたい。それがいま、このまちで暮らすわたしの願いです。

県北は気候は厳しいかもしれませんが、変化に富んだ自然の姿を味わい、人の温かさやゆとりを感じられるところです。少しでも興味がある方はぜひ一度訪れてほしいと思います。

以上がヘタレのオバサンでも移住できましたという記録です。
長文をお読みくださりありがとうございました。

移住のステキを
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