移住したきっかけ
私は、生まれて26年間を東京で過ごした。
幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、社会人を4年経たのち今から13年前の2011年、広島県尾道市の生口島に移住した。
私の両親がともに生口島出身ということもあり、盆と正月とGWは両親の実家に帰省していた。
母方の実家では唯一の男孫ということもあり、かわいがってくれたのを今でも覚えている。
幼稚園や小学校の頃の帰省では夏は海やプールで遊び、親戚の畑に行ってカブトムシを捕まえたりと楽しんだ。
中学、高校生と大きくなったら親戚の船に乗せてもらい魚釣りに行くのも楽しかった。
どれも、東京にいるだけでは得られない経験だった。
ここから移住の話になりますが、先ほど述べたとおり私の移住は「Uターン」「Iターン」とも違う「孫ターン」にあたります。
母方の祖父が自営業でその会社にお世話になることになりました。
東京で働いていた会社と事業内容も違うので未経験からのスタートです。
ほかの従業員も「身内が帰ってきた」ということで色眼鏡で見ていたと思います。
仕事はガソリンスタンドのスタッフだったのですが、祖父が「危険物取扱者の「乙四」だけは東京で資格を取得してきて」といわれて乙四の資格だけは何とか広島に移住する前に取得してきました。
東京では車を必要としない生活でしたので車の知識は殆どありませんでした。
しかし、大学生時代に接客業のバイトをしていた経験があったので接客の面では楽しく始められたのは良かったと思います。
両親が生口島出身というのもあったので「あんたのお父さん知っとるよ」「あんたのお母さんのわかいころはね~」「あんたのお婆さんに世話になったんよ」などと私の知らない両親や祖父母のことがわかりとても新鮮であり、同時にお客様にも親切にしていただきました。
しばらくして、消防団の誘いや、地元のスポーツの誘いや、商工会青年部の誘いなどがありました。
島の情報網恐るべし。
私も、生口島には親戚位しか知り合いがいなかったので26歳という若さもあり「とりあえず」でいろんなものに参加することとなります。
消防団に入ったら、毎月の点検があり、ポンプ車の大会があるとなれば一生懸命練習します。
フットサルをやってみたら週に1回町の体育館に集まって島の若者が集まります。
商工会青年部の集まりに行けば、自営業者の息子さんや、若くして事業を立ち上げた人とも交流ができます。そして夏祭りもボランティアで露店を出したりステージをしたりしました。
そして、数年経過し仕事も慣れてきた20代後半、「そろそろ結婚も考えないとなぁ」と漠然に思っていたところ、お客さんから「私の友達紹介するからメールから始めてみれば?」ということで今のお嫁さんを紹介してもらいました。
田舎ではなかなか出会いがありませんが、出会ったご縁を大事にして結婚することもできます。
そんな時、東京で働いていた父親も定年となり東京から生口島に帰ることとなりました。
父は島に帰りたい気持ちがあったので私が先に生口島に帰ってくれたことを非常に喜んでくれました。自分なりに人生を懸けた親孝行が出来たんだなあと思いました。
私が孫ターンで移住を決めた1つの理由の母方の祖父は90歳まで日課である、朝のガソリンスタンドの開店作業を続けていました。
年齢を重ねるごとに足腰が弱くなったり、計算が遅くなっていく衰えの姿も見ましたが、何より90歳まで毎日欠かさず働く姿を見れた事は私の財産です。
エネルギーを扱う企業としてお客様に迷惑かけないように、必要なものを当たり前にお客様に提供できるよう勤め上げたのだと思います。
その後は母も勤めていた東京から戻り、祖父の老後をみることになります。
その母から言われたのは祖父は事業を始めたときに「自分の孫の代まで続けたい」と言っていたそうです。
そういう意味では、私が孫ターンで祖父が元気なうちに稼業を手伝えたことは、祖父への孝行ができたんだなと思いました。
祖父は98歳で亡くなりましたが、私の中で大切なものを心にたくさん残してくれました。
祖父が引退し、叔父が社長となり、私なりに今後、この会社でどのようなことをしていきたいかを漠然に考えるようになります。
コロナ前には、海外からも注目のサイクリングコースのしまなみ海道の中心でもあり、日本一のレモンの生産地と観光資源もあることから観光客が多く来島していました。
コロナになり一時的に島も静かでしたがそんな時に島を支えてくれたのが島の造船業です。
コロナに負けず稼働し続け、コロナ明けに向けて仕事も堅調でした。
生口島は観光に農業に造船業にと素晴らしい島だと確信しました。
また、その反面、地元の高齢化や空き家問題も目につくようになりました。
何とか私もその問題に対して力になりたいと思い。
移住者とこの島をつなぐ活動が「今後この会社でどのようなことをしたいか、しなければならないか」の漠然なものの答えだと思いました。
そこから、不動産事業の事を調べ「宅建士」が必要とわかったので私の勉強の日々が始まります。
数年後の今年、無事に宅建士になり会社の事業にも不動産業が追加され、ようやっとスタート位置に立ちました。
都会の素晴らしいところも、都会の足りないものも
田舎の素晴らしいところも、田舎のたりないものも
自分なら身をもって経験したことだから伝えられる。
移住経験者が移住者を受け入れ、そして地元との橋渡し的な役割も担う。
そして、地元の高齢化や空き家問題にも力になれる。
私が地域にお世話になった分、私が地域のために出来ることを少しづつやっていこうと思う。