玉山 義雄さん
東京都から移住 70代以上

日本一のカヌークラブへ

江田島までの道のり

私は一般社団法人江田島カヌークラブの事務局長をしている「玉山 義雄」と申します。
私は2008年4月に東京から江田島に移住しました。

山口県下関市の高校を卒業し、東京の大学に進学・卒業し、そのまま就職して、定年まで東京暮らしでした。

東京は刺激に富んだ、魅惑的な空間でした。
然し、その刺激や魅力は人工的な要素が大きいと感じられました。
その反動からか、自然回帰の衝動が突き上げてきました。

そこで老後は晴耕雨読の生活を送ろうと、気候が温暖で、生活しやすい田舎暮らしの拠点を探し始めました。
たまたま、田舎暮らしを紹介する「人生の楽園」というテレビ番組で江田島が取り上げられて、その自然の豊かさに魅了されました。

そこで早速、江田島に下見を兼ねて旅行にいきました。
予想以上に自然豊かで、魚や野菜が驚く程安く、新鮮でした。
また、「島」とはいえ、江田島は2つの橋で本土と陸続きで、スーパーや病院なども多く、日常生活の利便性には事欠かない地であると実感しました。

そこで江田島を終の棲家にしようと決心しました。

カヌーとの出会い

江田島でまず始めたことは、住まいのDIYです。
2DKの平屋で築40年の空家を借り、大家さんの了解を経て、洋間と和室の境を取り壊してワンルームにし、天井を外して吹き抜けにし、壁や床も外して断熱材を入れ、住みやすくしました。
また、部屋数が少なくなったので、材木屋さんに材木をプレカットして貰って、それを組み立てて、2部屋増築しました。

2008年は母屋の改造と増築に費やしました。

翌年の1月、江田島でカヌーを手作りしている人がいて、作品を展示しているので、見に行こうと誘われました。
それがカヌーとの出会いです。

展示場にはかなりの人がいて、賑わっていました。
手作りが趣味の人が多く、その場で十数名の人がカヌー作りを教わることになりました。
これが江田島カヌークラブの母体となりました。

カヌーを作るといっても、製作する場所や資金など問題は山積みです。
幸い、地元の人の好意で、廃校となった小学校の理科室を借り、工房とする事が出来ました。
これで安心してカヌーを製作することができるようになりました。

それも束の間、今度は廃校を取り壊して、市民センターにすることになり、また、引っ越し先を探すこととなりました。今度も地元の人の好意で、すぐ近くの廃校となった中学校の体育館をお借りすることが出来、今はそこでカヌー製作やカヌーのメンテナンス作業を行なっています。

カヌー艇庫の建設

カヌー製作環境は整いましたが、次に問題となったのは、カヌーを収納する艇庫です。
カヌーを出し入れするのに便利なのは、やはり海岸の近くです。

然し、これらの土地は殆ど、市や県が所有するもので、なかなか適地が見つかりませんでした。
ところが江田島の元市長は自らがサイクリストで、アウトドアスポーツに理解のある方でしたので、サンビーチおきみ海水浴場の一角をお借りして艇庫を建てることが出来ました。

ここを拠点にして、カヌー体験教室やカヌーツアーなどを行なっていると、次第にマスコミに注目され、NHKの全国放送「新日本紀行」に取り上げられるまでになりました。そこでもっとアクセスのよい長瀬海岸にも艇庫を建てたらどうかというオファーがあり、ここにも艇庫を建てることになりました。

この2棟の艇庫は会員の手作りです。
長瀬海岸に艇庫を建てたことによって、カヌー体験の利用者が格段に増え、江田島市が誘致する民泊(体験型修学旅行)の目玉のメニューとなりました。

これまでに5000人以上の観光客がカヌーを体験されました。

クラブハウスとゲストハウス

当クラブには現在70名の会員がおりますが、その殆どが呉市や広島市の住民です。
これらの会員の方から、会員が寝泊まりするクラブハウスがあったらいいなという要望があがりました。

偶然にも自宅隣りの建坪100坪の大きな家が格安で手に入りました。
それは30年以上放置され、屋根に3カ所も穴が開き、1階の床まで抜けたような廃屋でした。

それを会員の協力で改造して、1階はクラブハウス、2階は一般客も泊まれるゲストハウスとして蘇ることに成功しました。
近隣の住民からも、あの廃屋が奇麗になり、人が住んでくれて安心したと、感謝されました。

日本一のカヌークラブ

現在、当クラブの会員数は70名、艇庫2棟、カヌー製作工房にクラブハウス・ゲストハウスなどの施設を有しています。

今年の3月まで呉市の海上保安大学校の校長先生だった人が、大学校に赴任された年に当クラブに入会され、その際、当クラブが日本一のカヌークラブであるとのお墨付きを頂きました。この方は日本全国のカヌーやSUPのクラブに精通されており、その判断には客観性があるものと考えます。

最後に

ここに至るまで、数々の困難に直面してきました。
然し、その都度、解決の手助けをして頂いた人々は、地元の皆さんでした。
資金や資材であったり、労力や人脈であったり、本当に干天の慈雨のような有難さでした。

我々も地元のイベントや行事などに積極的に参加し、親交を深めてきました。
田舎暮らしにおいては、このような地道な人づきあいが必要不可欠です。
範囲が狭く人口が少ないので、人間関係が濃密になるのは避けられません。
この関係を築ける自信のない人には、田舎暮らしをお勧めできません。

実りある豊かな田舎暮らしを希望する人は、それなりの覚悟をもって来て下さい。
これが十数年、田舎暮らしを体験した私のアドバイスです。

移住のステキを
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