広島、夕焼けと共に。あるいは白い月。
2024年8月——彼氏の転職が決まり、広島に引っ越した。
私も彼も、広島には縁もゆかりもない。一度二人で観光に訪れたことはあったが、特に何か思い入れがあるわけでもない。二人とも「土地にはこだわらない」性質で、やりたいことがあるならそちらを優先すべき、という考え方だ。
私は現在フリーランスなので、基本的に外に出ることなく生活している。そういう意味では東京も広島もあまり変わらない。世界のどこにいてもいつも通り仕事をして、いつも通りの生活を送るだけだ。それができるようになることが、私の人生の目標の一つでもあった。
友達も姉妹も、もちろん両親も居ない土地で二人ぼっち。この環境で在宅仕事をする、というのはある種孤独と向き合うことになるのだが、そんな時間を重ねるなかでひとつ気付いたことがある。
広島は夕焼けが綺麗、ということだ。
夕陽の輝きと空の昏さのコントラストが美しい
夕方になると仕事をひと段落して、夕食の準備のためにキッチンに立つ。キッチンからはベランダに続く大きなガラス戸がある。そこから差し込むオレンジの光、逆光となった建物、昏くなった空と影を浮かべる雲、そして白い月がガラス戸の画角に収まったその光景は、これまで見た夕焼けの中で1,2を争うほどに美しかった。
我が家が日当たりの良い土地の4階に位置しているということも大いにあると思うが、広島はどこにいても夕焼けが綺麗だった。大自然に囲まれた風光明媚な土地ならいざ知らず、発展を遂げた都市の真ん中からここまで綺麗な夕焼けが見えるのか、と衝撃的だった。
フリーランスで仕事をしていると、どうにも時間の感覚がなくなっていく。いつでも仕事をしていいということは、いつまでも仕事ができてしまうということであり、誰かと一緒に暮らしている以上「もうこんな時間だ!」と焦ることもよくあった。
だが、広島に来てからはこの美しい夕焼けが時間を教えてくれる。差し込む夕陽が容赦なく室内をオレンジに染め上げるので、キーボードと自分の間に割り込む猫のように、全く無視できないのである。
そしてこの夕焼けを美しいという気持ちが、それを見逃すことを許さないのだ。
夕焼けが邪魔をして来たらいったん席を立ち、リビングで夕焼けを見ながら休憩をする。どこにいてもあまり変わらないと思っていた私が、広島に来て唯一変えることのできたルーティンである。
これからは少し変わることも考えてみようかな、と思わせてくれた夕焼けだった。