人と出会って広島を知る
生まれも育ちも岐阜県の私は、人生で引っ越しをした経験が片手で数えるほどしかありません。
大学進学を機に地元を離れて、県外へ引っ越したとき。
一年の語学留学でバンクーバーへ移ったとき。
日本へ戻ってきて一人暮らしを始めたとき。
就職のタイミングで地元へ戻ったとき。
そして、広島へ引っ越してきたとき。
就職の二文字が見え始めた学生時代、何をしたいのか、どんな会社に就くのか、どこで就職活動をするのか。あれこれと迷いながら、私は時折友人にこう話していました。
「仮に広島県で就職して、そこでもし誰かと出会ったら。もしその人と結婚したら、その後はずっと広島県民になるのかも……。それくらいどこで就職するかって大切だよ」
大阪より西へ行く機会もほとんどなかった当時の私にとって、中国地方という場所は随分と遠い場所で、知らない場所でした。
そんな私がなぜ今広島県に住んでいるのか。
20歳の自分が想像していなかった現在を、この場で少しお話ししたいと思います。もしよろしければ、ページをめくる手を止めて、少しだけ読んでいただけたらうれしいです。
離れがたかった地元
岐阜生まれ岐阜育ちの私は、岐阜県という土地も、そこに住む家族も大好きで、Uターン就職で戻ってからは、より離れがたくなりました。
幼馴染から突然の招集をかけられれば夜中から集まって、くだらないことに笑い合い。週末は実家の畑や庭の手入れを手伝って、散歩をするときは決まった田んぼ道を巡ります。都会に用事があれば、気軽に名古屋市へ出ていました。
思えば、ふらっと旅行がしたくなったときは、日本の東へも西へも出やすかったです。名古屋まで行けば、東京へは新幹線で1時間半ほど、大阪は40分くらいで、強いていえば岐阜県に空港がないのが難点かもしれません。
友人と気軽に飲みに行き、歳を重ねてきた両親と祖母の手伝いをしながら、歳を重ねれば重ねるほど、地元という場所にどんどん愛着が湧いていきました。ただ近年は、田んぼや畑がどんどん新しい建物へ変わっていっています。地方に住んでいる方には馴染みのある光景かとも思いますが、広島へ引っ越してからの4年間で瞬く間にお店が増え、道路の渋滞も以前とは比べ物にならないほどになったようです。
人口も増え、イベントがたくさん企画され、街が賑やかになり、土地が盛り上がるのはとても良いことだと思いつつ、慣れ親しんだ景色が少しずつ消えていくことで、地元が知らない場所となり、愛着が薄れていくのかなとも思っています。
新しい土地で引きこもった一年間
自分の好きなように生きていた私も、30を前に結婚をすることになりました。ふらふらのほほんと生きている私に、一緒に生きていこうといってくれた夫には、本当に感謝しています。
結婚前から在宅の仕事をしていた私が、結婚を機に広島で仕事をしている夫の元へ引っ越すことに。
顔合わせをして、籍を入れ、引っ越しをするころには、世間はコロナによる外出禁止令にも慣れ始めていました。
ぬるっと密かに広島に引っ越してきた私は、そこから夫以外の人とほとんど話さない生活になりました。実家にいたころは外出禁止といえども、裏庭の手入れや、畑の手伝いなど、外の空気を少しは感じられていた日々でしたが、引っ越してからは、インドア派な面も影響して、必要以外はアパートの部屋からほとんど出なくなりました。
気軽に外の空気を吸う場所がみつけられず、友人や家族と会えない日々は、私の心を黒い靄でいっぱいにしました。家の中で運動をしてみても、気晴らしに出かけてみても、その靄が晴れることはなく、人生で一番ふさぎ込んでいたと思います。
「たちまち」と自然に言える日まで
引っ越して1年ちょっとで、明らかにメンタルに不調をきたしたことをきっかけに、久しぶりに外へ仕事に出ることにしました。
「とりあえずハローワークへ行ってみよう!」の気持ちで足を運び、面談を受けて、提案してもらったお仕事。求人票に提示されている応募資格に自分の能力が足りていないことを、担当についてくれた方に伝えると、すぐに電話で先方に確認をとってくれました。
すごく優しい雰囲気の担当さんが、先方とお話ししている最中に「たちまち履歴書を送りますね」と話しているのを耳にして、『たちまち!本当に使ってるんだ!』と思わず目を輝かせました。
私と広島弁の「たちまち」との出会いは広島に越してきてすぐのころ、無印良品に掲げられていたキャッチコピー『たちまち直角靴下じゃろ』です。
「一瞬で靴下が直角になるってこと?」
隣を歩いていた夫にそう尋ねると、「そんなわけないでしょ、“とりあえず” の意味で “たちまち” っていうんだよ。たちまちビール、みたいな感じで」
「誰もが知っているでしょ」みたいなテンションで言われましたが、夫が使っているところを聞いたことがなかったので「そうなんだー」といいながらも当時は信じていませんでした。ごめんよ。
少しずつ外に出るようになったせいか、担当さんが使っているのを聞いてから、お店のお姉さんが使っていたり、仕事で出会う人が使っていたりと、年齢に関係なく使用される、一般的な広島弁だということがわかりました。私も自然に「たちまち」と口にする日がくるのを、今は少しわくわくしながら待っています。
人の気持ちが温かい職場
会社勤めを辞めてから4年近くが経っていた私でしたが、奇跡的に採用していただき、地元の人たちとの関わりが生まれました。
久しぶりの事務所でのお仕事に緊張していましたが、働いている方々が本当に良い方ばかりで、外から来た私にいろんなことを教えてくれました。
地域のお祭りのこと、学校のこと、有名な神社や公園。どこのお店がおすすめで、どこの道が混みやすいとか。当たり前ですが、家の中にいるだけでは知らないことばかりでした。
入ったばかりのころも、時間が経ってからも、気さくに話しかけてくださるので、事務所で仕事をするのが楽しかったです。
ここだけの話、職場のみなさんが「じゃろ」っていうのを、密かに可愛いなと思っていました。
人と出会って広島を知る
在宅での仕事は続けていたため、新しい職場の近くにあるコワーキングスペースも活用しながらの日々が続きました。オープンスペースで一人黙々と作業をしているだけでしたが、日常的に顔を出しているとスタッフさんとも話すようになり、だんだんとその地域で面白い取り組みをしている方々と繋がるようにもなりました。
心の靄を晴らそうと無我夢中で踏み出した一歩でしたが、職場の人や地域で頑張っている人たちと出会い、瞬く間に世界が広がりました。
広島へ引っ越して来て最初の1年は、夫と二人の世界で生きていました。それが今では、仕事の悩みを相談する人もいれば、くだらないことを連絡できる友人もいます。優しい人たちに出会えたことに、本当に感謝しています。
アパートの大家さんも本当に優しく思いやりのある方で、いつまでも今の部屋に住んでいたくなっています。
人と出会い、全くわからなかった広島のことを日に日に知っていくことで、愛着が生まれて、きっと、どんどん離れがたくなって行くのでしょう。
ふとした瞬間に知る、広島と岐阜の文化の違いに面白さを感じながら、これからも広島での生活を楽しんでいきたいと思います。
余談ですが、海が好きになりました
海なし県からやってきた私は、いまだに海を見るだけでテンションが上がって、必要以上に写真を撮り、夫に「海だよ!!」と言うのですが、海の横で育った夫のテンションは微塵もかわらず、そんな私を温かい目で見守ってくれています。
瀬戸内の穏やかな海は、いつも心を落ち着けてくれるがします。実は広島に引っ越してから、ぼーっと海をみることが好きなりました。