私は、2016年の4月に滋賀県から大崎上島へ移住し、島暮らし9年目の菅原一恵と申します。移住体験談を募集しているのを知り、自分の8年間を振り返る良い機会だと思ってチャレンジすることにしました。
導かれるように大崎上島へ〜田舎暮らしと子どもの教育、両方をかなえた家族のお話〜
どんどん満たされていく
「わっしょいわっしょい」、肩の痛みを紛らわすように大きな声を出す。お宮さんのご近所の商店を必死に目指し、高く神輿を上げる、最後の「わっしょい」を振り絞る。神輿を下ろし脱力した身体で、振る舞われた御神酒「神雷」を、一升瓶でぐいと呑み込んだ。
まず書き出しのインパクト。そして文章のリズム感。なんだろう、と引き込まれて最後まで心地よく読めました。東京と神石高原町の「物理的な変化」を数字で比較した部分は、移住を検討する人が、この情報をプラスと取るか/マイナスと取るかを考えさせる余白があり、面白いなと思いました。読み物としての力、資料としての価値、移住によって変わったご自身の価値観の描写。すべてのバランスが良く、読了後、この方は何者なのだろうとお名前を検索してしまいました。
~移住で実現した豊かな暮らし~
家族5人で妻の実家のある広島県竹原市に移住したのが2017年。
ですので、妻はUターン、自分にはIターンとなります。
瀬戸内のおいしいものや前向きでおもしろい人たち、凛とした街並みと出合い、「自分もこの街を輝かせる一員になりたい」と、移住と料理店開業を決めた時のワクワク感が伝わってくる文章でした。子育て世代にとっては関心が高い子どもたちの通学事情や、自然がすぐそばにある暮らしぶりにも触れられていて、心身ともに健康的な暮らしぶりが目に浮かびます。地元食材を主役にした料理を食べに、竹原市のお店に行きたくなりました。
思い切ってUターン移住して良かった!〜私の人生の可能性を広げてくれた広島移住〜
初めまして、広島生まれ・神奈川育ちの28歳、Can of cokeです。現在、第一子を妊娠中で2024年12月上旬に出産を控えています。今回はZ世代でもある移住者としては比較的若い私がなぜ広島移住を決意するに至ったか、丁寧にご説明できればと思います。
広島出身のご両親のもとに生まれ、神奈川県で育った28歳の筆者は、両親の希望で大学進学のタイミングで家族と共に広島に移住し、社会人2年目までの6年間を広島で過ごしました。その後、結婚を機に東京へ転勤したものの、コロナ禍での東京の生活に不安を感じ、東広島市へ移住。平和公園で外国人観光客向けのガイドを始めたそうです。ご自身の得意なことを活かしながら、まちの資源に目を向けて前向きに夢を描く姿。ご家族のこれからが楽しみです!
枠組みをすり抜けて
京都でシステムエンジニアをやっていた人間が、広島東部の山の中、神石高原町で農家をやることになりました。
別に田舎暮らしに憧れがあったわけでもなくて、諸般の事情から入念に準備をしてやってきたわけでもありませんでした。
インドア派で内向的、現実よりも本とインターネットの中で生きてきた時間のほうが長かったと自己評価する男の3つの激変した移住暮らし。まだ入り口に入ったばかりだが、それでも、何とかなっていると移住暮らしを評価しました。心の動きが面白かったです。
はじめての広島、はじめての子育て〜自然とあたたかなまなざしの中で〜
2020年の冬に埼玉県から広島にIターン移住しました。私自身は関東の出身で進学や就職で関東圏を点々としていて、結婚後しばらくして夫のUターン転勤で広島に来ました。
最初の方に「太平洋の勇ましい海とはまた違う、瀬戸内のおだやかな波」との描写がありますが、私も小田原生まれで、感覚としてすごく分かりました。本当に、同じ海でも全然違うんですよね…! 移住先の廿日市市ではペーパードライバーでも移動がしやすいなど、広島県沿岸部の暮らしやすさが具体的に伝わってくる文章でした。ご親戚が近くにいない心細さなど、育児で起こりうるデメリットも書いておられて、同じ境遇の方には特に参考になりそうです。
意味や理由よりも大事なもの
2021年夏に東京から広島に移住したCGデザイナーのカワバタです。以前は東京やカナダのゲーム会社で3Dキャラクターを作るお仕事をしていました。出身は大阪でその後仕事で横浜、東京と主に都市部を転々とし、数年前にカナダのトロントにも2年ほど住んでいました。
コロナ禍を期に、リモートワークという新しいワークスタイルが始まり、時間ができて「人生において何が重要か」が明確になったカワバタさん。それは、家族との時間であり、快適な住環境であり、リフレッシュできる環境が近くにあることだ、と気づいたとのことです。これを実現するために、直感を信じて広島へ移住したCGデザイナー。移住を「何かを実現するための手段」ではなく、「この街の人当たりが好き」のような、感覚的な基準で移住先を探すことがモチベーションを高めると話しています。さらに、土地が人格形成に与える影響も大きいとも言っておられ、こうしたことから、広島を選ばれたようです。広島移住の人気が納得できる一文でした。
~アラフィフ夫婦の広島移住決断までの道のりと現在~
ちょっとだけ長くなりますが、アラフィフで子供がまだ小さい(転居時、長女9歳、同、長男4歳)私たち夫婦が移住するまでの経緯を書いてみました。
夫49歳、妻46歳、子ども2人の家族の移住。夫は「(履歴書に書ける)資格なし、車の免許なし」。普通に考えればハードルは高いはず。でも、KHMさんは自分に合った資格を取り、免許も取得し、仕事や住まいを見つけます。それが可能なのは、経済規模も自然も、そして人間関係もちょうどいい具合にミックスする広島だからこそでしょう。夫妻揃って趣味のものづくりやサイクリングも楽しむ姿に、勇気づけられる方も多いはずです。
内気な自分の移住のはなし
東京から家族で安芸郡坂町へ引っ越してきた。
友人や親戚、不動産屋さんからも「広島県にご家族がいらっしゃるんですか?」と聞かれたけれど、わたし自身なんの縁もなく、夫が広島のお好み焼きが好きで、その上 大の釣好きであるのが理由でここまでやってきた。
縁もゆかりもない広島の坂町に家族で移住した3人家族。夫が広島のお好み焼きと釣りが好きで、その思いを優先して広島へ移住しました。喜んだのは夫だけではなく、人見知りの妻も、気さくな坂町の人々に支えられ、移住に対する不安は、田舎暮しに対する偏見によるものだったと、気がついたようです。何よりも2歳の息子の目がパソコンから自然や環境などに向き始め、忙しくなったことに喜びを感じられています。家族3人の生活スタイルの変化を通して、移住先として人気の広島の一面を実感させられました。
よう来ちゃった。
我が家はシングルファミリーである。
無謀にも、シングルファミリーのIターンをやってのけた。
実家がある新潟から離れての、Iターンである。たまたま仕事で1~2か月に1度出張で広島県に来ていたというだけで、直感で流れ着いたのが尾道。
どこの土地の方でも包み込んで受け入れてくれる尾道の街についてほんまともみさんの移住体験を通して疑似体験したような作品で、心がポッと暖かくなりました。タイトルにもある「よう来ちゃった。」という言葉が広がっている尾道の日常が浮かんでわたしもまたそろそろ尾道に行かにゃいけんわ〜
勢いで来たはいいけれど
創作・表現をする身として、唯一無二の自分の表現手段を失う恐怖や、失くしたときの所在のなさなど、共感しました。それでも「広島の街がいい」と思えて暮らせること、そして、かつて目指したものとは違っても、大切にしてきた「描くこと」によって見出せた一歩は、カリもっちさんにとって広島だからできたことだと思います。普遍的ではないですが、移住による心の動きは、同じ土地で暮らす広島の方々にとってもきっと宝物です。
瀬戸内海にある離島に、なにかに導かれるように家族で移住した話でした。移住先は多くの場合、田舎であり、移住した場合に悩むのは子どもの教育です。離島を選んだのは大の島好きであり、子どもの頃に育ったのは明石市で、瀬戸内海は心の故郷で海の見える場所で暮らしたかった。そのことを実現するための過程が丁寧に描かれ、10年後の暮らしへの思いも述べられ、説得力がありました。