尾道に移住してからの半年間で思うこと
私「尾道に移住したい」
夫「いいよ」
私たち夫婦はお互いの仕事を辞め、東京から広島県尾道市に移住してきました。上記の会話は2020年11月のもので、実際に移住したのは2021年2月。移住の地となる尾道に初めて訪れてから移住まで、わずか3カ月弱の出来事でした。
我ながら思い切った決断をしたと思うし、夫もよく二つ返事で賛成してくれたものだなとしみじみ感じています。
親戚や知り合いのいない土地への移住だったものの、大学生のときにボトルキープするくらい好きだった「大長檸檬酒」のおかげで広島にはよく思いを馳せていたし、汁なし担々麺が好きすぎて銀座にある広島のアンテナショップにはよく通っていたし、牡蠣が好きすぎて広島市方面によく一人旅をしていたので、30代半ばになって自分が広島県民になっていることを、なんだか不思議に思っています。
気持ちの変化は、東京の会社を辞めようと思ったことから
東京での生活は、仕事が中心でした。
会社へのアクセスを最優先で住む場所を決め、
高い家賃を払い、
毎日遅くまで仕事をして、
休みの日にも仕事をして、
会社で何度も倒れ、
しょっちゅう仕事の夢を見て。
働くことが第一だったので「労働環境に不可欠な利便性は必要経費」だと割り切って、住む立地なり家賃なり、そこにばかり重点的に投資をしていました。
幸い働くこと自体は好きだったので、仕事のかたわら副業するなどして意欲的に働いていました。でも、コロナ禍を経てさまざまな思いから会社を辞めよう(転職しよう)と思ったときに、これまで大切にしてきた軸がポキっと折れてしまいました。会社を辞めるなら東京に居続けないといけない理由って一体なんだろう?という考えが頭をよぎり始めたのです。
「ここで暮らしてみたい」と思える場所に出会えたのが決定打
よく夫と「老後は東京を出て別の場所で暮らそうか」と話していました。働き盛りのうちに働いてちゃんと退職金を満額もらったら、どこか地方でちょっとした庭つきの家を借りて、野菜を育てたり節約を楽しんだり縁側で好きなだけ本を読む……。そんな老後をふんわりと夢見ていました。
でも、ひょんなことから私は、老後を待たずに「尾道」という土地と出会うことになります。初めて尾道に訪れた日、穏やかな瀬戸内海をひとりで飽きるまで眺めていたら、「私、ここで暮らしてみたい」という生まれて初めての感情が芽生えていることに気付いたんです。
そしてこれは偶然だったのですが、私が当時の仕事を辞めるタイミングで夫も転職を考えていました。お互いが次の仕事を探すこの機会に、東京以外で暮らす選択肢を加えるのはごく自然なことではないかと思えたんです。
前述したように、それまでは夫婦共々サラリーマンとして全集中するための利便性にお金をはたいていたため、会社にも東京にも、どこか縛られているという感覚があったと思います、お互いに。また東京で暮らしてはいたものの私たちは基本的にインドア人間で、外で遊ぶとしても公園でお弁当を食べたりビールを飲んだり、バードウォッチングしたり写真を撮ったり。流行に乗っかるタイプではないし、日本初上陸の有名なスイーツ店に並びたいわけでもない。
会社というひとつの軸がなくなろうとするとき、東京にいないといけない必要性がますます見いだせなくなっていました。理想の生活ってなんだろう。そう考えることが増えていったんです。
尾道で生活してみたら
移住先の尾道は、瀬戸内海に面した穏やかな街。いわずと知れたレモンの産地で関東では耳馴染みのない海の幸に恵まれ、向島や因島、生口島など多くの島々でそれぞれの暮らしが営まれています。
【移住して良かったこと】
・山、海、島の絶景が毎日眺められる
・気候が温暖
・移住者が多い
・おいしいものが多い
・検索しても見つけられない穴場店が多い
・東京よりも密にならない
・地元の人がオープンに接してくれる
・車がなくても生きていける(あれば便利だけれど当面なくても困らない)
・友達ができる
【移住して不便だったこと】
・インフラ系のキャッシュレス化が進んでいない
・観たい映画が近くで上映されない
・ゴミ捨て場が少し遠い
自分の知らない違う文化が営まれているのは当たり前なので、もちろんギャップも感じました。
でも、坂道があって、海があって、島がある。関東平野の海無し県で育った私にとって、目に映るものどこを切り取っても物珍しく、その風景は毎日見ていて飽きることがありません。
“やりたいことリスト”がどんどん叶っていく
移住したことで、ひそかな夢だった小さな庭を持つことができました
ベランダで野菜やハーブを育てるのが好きだったんですが、東京にいたときには庭がもてるなんて思いもよらず、「どうせ無理」だと諦めていました。
でも移住先で探した家はメゾネットなりアパートなり「小さな庭付き」率が高くて、やってみたかった地植えでこの夏は野菜やハーブの収穫を楽しむことができました。
移住を機にライターとして独立してフリーランスになりました
以前サラリーマンの傍らやっていたライター業でフリーランスになりました。東京では高い家賃を支払いながら不安定な収入になるのが怖くて独立する自信が持てませんでしたが、大きく環境を変えたことに背中を押されたこともあり、やってみたかったフリーランスとしての活動に踏み切ることができました。
自分で仕事を取ってこなくてはいけないしコマゴマとした事務仕事も多いので苦労はありますが、好きなように仕事をデザインでき、好きな場所で働けることが楽しくて、今では毎日充実しています。
「海を見ながら仕事する」をいう憧れも、尾道にあるコワーキングスペースですぐに叶いました。東京で働いてきた会社の方々から仕事をいただけたりもして、これまでのつながりを大切にしつつ、地域でも徐々にさまざまな挑戦をさせてもらっています。
人間関係がどんどん広がっていきました
移住したからといって性格が変わって社交的になれたわけではないのですが、たとえば商店街を歩いていると、すれ違った知り合いが名前を呼んでくれます。どこか飲食店で一人でごはんを食べていても自然と会話が生まれるオープンさがあります。ビールバーに行けばマスターが話しを聞いてくれるし、居合わせた人と顔見知りになります。移住者も多いので、知り合えれば移住の苦労もわかってもらえると思います。
今は、尾道で出会った人たちから聞いた話や思いを受け止めながら、自分がこれからどう地域と関わっていけるのかを模索しているところです。
ちょっと地域を見たからといってこの街を語ることなんてできないし、尾道の魅力をひとつの言葉で定義するのは難しい。だから、「この人のことを知りたい」「この場所の歴史が知りたい」という気持ちで地域を見つめていけたらと思っています。
心がワクワクする方へ
正直、移住したら後悔するかもしれない、と思っていました。
仕事が軌道に乗らなかったらどうしよう。
いきなり人間関係でトラブルがあったらどうしよう。
ご近所に馴染めなかったらどうしよう。
思ったよりも生活しづらくて、便利な東京に帰りたくなったらどうしよう。
「水が合わない」っていう言葉があるくらいだし、“住んでみたい”と思ったとしてもなんだか気持ちとは別のところで歯車が噛み合わないこともあるかもしれないと、そう思っていました。
もちろん移住して何もなかったわけではなく、ビックリしたことやちょっとしたトラブルはあったものの、「東京以外でも生活していけるんだ」と肩の力が抜けてどこか生きやすくなったような気がしています。自然と馴染むことを許してくれるような懐の深さが、尾道にはあると思います。
むしろ、心に余白を持てたことで「後悔してもいいじゃん」とすら思えるようになりました。もしダメだったら、ダメじゃないところでまた始めればいいんです。失敗しても、またここでイチから頑張ってみよう、そう思える場所です。
私は「夢だったお店を開業したい」とか「まちづくりに携わりたい」とか、そんな特別な想いがあったわけではありません。でも尾道での生活で、
東京以外で暮らしてみたい。
小さくても庭がほしい。
フリーランスでどこまでやれるか試してみたい。
海を見ながら仕事がしたい。
そんな小さな小さな“やりたいことリスト”を、ひとつずつ叶えていっています。
“ワーケーション”や“二拠点生活”といった概念が浸透してきて、地方移住という生き方はこれからも増えていき、ごく当たり前になっていくのではないかと思います。それでも、生活する場所を変えるってやっぱりその人にとっては大きな決断です。
私の場合、さまざまなタイミングが噛み合ったことも手伝って、思い切った移住が功を奏しました。ただ、誰もがそうだとは限りませんし、これからもっと大変な困難が待ち受けているかもしれないと思っています。
でもこれからも、心がワクワクする方へ舵をきってみたい。私は、元気に暮らしています。