地方で実現できた自分らしいライフスタイル
東北地方と中国地方、それぞれ地方ブロックの中心県で、100万都市とその近くにある海や山の自然の中に多様な地域資源がある、宮城県と広島県。東京都内で開催した「宮城県・広島県共同移住フェア」において、この両県の魅力的なライフスタイルを御紹介するため、月刊「ソトコト」の副編集長、小西威史さんをコーディネーターにお迎えし、パネルディスカッションを実施しました。宮城県側からは、1次産業をベースにしながら地域の活性化に取り組んでいる方、広島県側からは「都市と海」をテーマに活動をしている方、それぞれ3名をゲストにお迎えしました。両県をよく知る小西さんのコーディネートにより、宮城と広島、両県で活躍する個性的な6人のゲストのお話がクロスしながら、新しい地域の方向性を示すセミナーとなりました。
HIROBIRO. 広島移住トピックス
TOPICS
☆セミナーレポート☆宮城県・広島県共同移住フェア2017パネルディスカッション「地方で実現できた自分らしいライフスタイル」
コーディネーター 小西威史さん
月刊「ソトコト」副編集長
神戸市出身。神戸新聞社社会部記者などを経て、編集プロダクション「トド・プレス」に入社し、月刊ソトコト編集部に配属。創刊時にテーマとしていた「環境」に加え、「ソーシャル」「多様性」「人と人との関係性」「地域の編集」など、日本の地方で起きている価値観の変化や、これからの新しい暮らし方、働き方などを取材し、発信している。
月刊「ソトコト」は1999年、環境をテーマに創刊した月刊誌です。毎号「暮らしをどうするべきか」をテーマにしています。2000年代初めは、イタリア発祥のスローフード運動を紹介したり、スローライフ、ロハス、サステナビリティといったテーマを毎号組んできました。今から7〜8年ぐらい前、東日本震災の少し前ぐらいから、「日本列島移住計画」という特集などで、いま地方で起きていることを紹介し始めました。
その後、東日本震災があり、何かものをつくる、魚が獲れる、野菜をつくれるという地に足が着いた暮らしのほうがすてきなのではないかという見直しが起きてきました。地方で暮らすための第一歩としては、地方で活躍している先輩方の話を聞いたり、サポートしてくれる行政の担当者と繋がってどういう暮らしの場があるかを紹介してもらうことが大切だと思います。
宮城県と広島県、東京を挟んだ東と西で人の潮流をつくり、新しい日本をつくっていこうという大きなテーマの下、去年から始まって2回目です。今日は、両県から3名ずつ、6名のゲストから、まずお一人ずつにご自身の活動をお話しいただきます。その後、私から6人に共通するテーマを投げかける形で、お話を掘り下げていきたいと思います。
【宮城県パネリスト】長谷川琢也さん
フィッシャーマン・ジャパン事務局長兼ヤフー社会貢献室 東北共創
東日本大震災後、ヤフー石巻復興ベースを立ち上げ、石巻に拠点を移すために家族で移住を決意。IT知識を活かし、支援事業にかかわりながら、フィッシャーマンジャパンを立ち上げ、漁業の素晴らしさを発信し、次世代へつなげるよう、担い手育成にも努めている。
勤め先も巻き込んで、漁業の現場で起きていることを発信
東日本大震災の前からヤフーで働いていましたが、震災ををきっかけに、漁師団体フィッシャーマン・ジャパンを立ち上げて漁師たちと一緒に活動をしています。2011年3月11日は自分の誕生日でもあったのですが、いてもたってもいられなくなり、最初はボランティアで被災地へ行き、南三陸町で泥かきや炊き出しをやらせていただきました。
個人のボランティアでは限界を感じ、勤め先の会社(ヤフー)を巻き込んで「復興デパートメント」というプロジェクトを立ち上げました。その後、石巻の河北新報支社の1階をお借りしてヤフーの支社をつくりました。
支社では、オープンな環境にしていろいろな人と新しいプロジェクトやビジネスを起こせればいいな、というつもりでやっています。とにかく足を使って地域の人と仲良くなる。東京から来た人のバスガイドをしたり、YOSHIKIさんなど著名人を案内してイベントのきっかけをつくったり、いまでは日本最大級の自転車イベントとなった「ツール・ド・東北」、自転車で走りながら毎年復興の状況を見ていこうというイベントもやっています。
いろいろな人と出会う中で、漁業に出会いました。漁業は、震災に関係なく危機的状況にあって、何とかしなければという思いで自分も携わるようになりました。そこで立ち上げたのが、フィッシャーマン・ジャパンです。ネガティブな3Kイメージの漁業を、ポジティブで、かっこよくて、稼げて、革新的な業界に変えようと立ち上がった団体です。
自分も漁師の仲間に入れてもらって、いまは広報として情報発信をしたり、企画を立ち上げる事務局をやっています。漁師を増やす活動の一環として、空き家をリノベーションして漁師のシェアハウスつくり、そこに他県から若い漁師を呼び込んで漁師学校をやったりしています。「生産」面を忘れている都会の消費者と生産者を繋げるイベントもたくさんやっています。地元の高校生を相手に、漁業体験をしてもらったりもしています。
それから、東京の中野に生産者と消費者が常に交われる場所、漁師居酒屋をつくって経営もしています。いろいろやっていると、有名な方も会いに来てくださったりします。きっかけは誕生日に起きた東日本大震災でしたが、今ではすっかり東北にはまり、東北の魅力を少しでも多く伝えたいと思っています。
【宮城県パネリスト】早川真理さん
丸森“こらいん”ツーリスト所長
東京都生まれ。大学卒業後、農業大学校・スイスでの農業研修の後、宮沢賢治に憧れ東北に移住。観光牧場、出版者などを経て宮城県丸森町へ移住。一度、丸森を離れ、栃木県内の道の駅駅長を経て、一昨年、丸森町観光物産振興公社内の旅行部門を立ち上げ、現職に就く。
旅行社を立ち上げ、何の変哲もない地域に人を呼び込む
現在、宮城県の白石市に住んでいて、仕事は丸森町というところでしています。実家は東京の西葛西です。今日のトークセッションのため東京へ来ましたが、東京に来るといつも体調を崩します。東京に20数年暮らしていながら、本当に合っていないと思います。私は東京出身ですが、母が仙台の出身で、小さい頃から宮城県が大好きで、将来は宮城で暮らしたいとずっと思っていました。学校を出て最初に岩手県に移住して、それから南下してきました。仙台でも長く暮らしていたのですが、農業がしたくて、丸森町で畑を借りながら憧れの田舎暮らしを始め、町の仕事もさせていただいていました。
東日本大震災の直前に栃木県の那須町で仕事が決まり、震災後、後ろ髪を引かれる思いで那須で暮らしていましたが、師と仰ぐ役場に勤める友人が「いつ帰ってくるの?」と粘り強く呼んでくれて、3年前に帰るチャンスができました。
現在は第2種旅行業を取得し、丸森町で“こらいん”ツーリストというものを立ち上げて運営しています。「こらいん」とは、宮城県の西南で使われている言葉で、「おいで、いらっしゃい」という意味で、一人でも多くの方に丸森に来てほしいという思いを込めています。
白石も雄大な蔵王連峰があってすごくいいところですが、丸森町は少し海寄りの、福島と隣り合ったところです。町の魅力としては、自然公園、食べ物、人、それから日本一の猫の石碑があるということで、いま猫神様でお客様を呼ぼうと頑張っています。観光地でもない、何の変哲もない田舎ですが郷土愛を持つ方がたくさんおられ、この町の魅力を発信できる、そこで旅行業の立ち上げをして、たくさんのお客様を呼び込もうとしています。移住者もたくさんおられます。
本当に普通のこと、「おとなの遠足」と言って、普通の田舎道を歩き、廃校の校庭でお花見して、みたいなことをやっています。私はある時は添乗員、ある時は登山ガイドとして、地元の野菜を使って料理教室をしたり、菓子づくり体験をしたり、里山がたくさんあるので山登りツアーをやったりしています。
【宮城県パネリスト】目黒浩敬さん
「Fattoria AL FIORE」農園オーナー
仙台市内でイタリア料理店を開いた後、自らの手で「誇り高い農業」を実践するため、店を閉め、農園作りを本格的にスタート。川崎町に1500本のブドウの木を植樹し、昨年3月、ワインを初リリース。農業を通じたコミュニティ形成に尽力している。
農地を耕し、地域を耕し、人とつながる
現在、蔵王連邦の麓、白石市の隣の大きな町の川崎町というところに住んでいます。その前は、仙台で12年くらい、野菜や生ハムなどをつくって自給自足的なイタリア料理のレストランをずっとやっていましたが、周りの地域で、過疎化が進んで、小学校もどんどん廃校になって行く状況を目の当たりにしていました。レストランは、県外のお客様が7〜8割で、食の意識の高い人たちばかりが来てくださいました。でも、農業がもっと地元で盛んにならなければ食全体がやばい。使える食材も減ってきて、レストランという生業自体ができなくなるのではないかという危機感を覚えました。
僕の地元は福島県相馬郡新地町という、海沿いの、原発のすぐ近くです。町が半分なくなったような場所です。本当は、そこに1次産業を活発化させる場所をつくりたいと思っていました。レストランと農園の計画を立てているところで東日本大震災があり、農園は開けなくなってしまいました。そこで、町役場の方、町の人、里山の豊かな自然が残る環境がすごく気に入って、「第二の故郷」となる川崎町に移住を決めました。レストランの営業が終わったら、夜中の11時くらいに川崎町に来て、朝の5時くらいまで家をセルフでリフォームしていました。「空き家バンク」を活用して、たまたま見つけた未完成のログハウスで、水回りも含め、全部、夜中に一人でやりました。
ここでは、料理教室や味噌づくりのワークショップもやっています。来年は宮城でワイナリーが立ち上がります。農園では、ミヤギシロメという在来の作物を使い、みんなで大豆を育てています。来年には、ブドウが初収穫を迎えますが、それに先駆けてワイナリーからの委託でブドウを買い、何も添加せず、温度管理もせず、自然にワインをつくっています。横浜から移住してきたスタッフ、ニュージーランドから助っ人で来てくれた醸造家などと一緒に楽しくやっています。
【広島県パネリスト】平田欽也さん
有限会社アトリエ平田 代表取締役・建築家
趣味のヨットと関わる生活を求め、東京から広島へUターン。設計事務所経営の傍ら大学講師を務め、「人とのネットワーク」を大切にしながら、仕事と趣味を両立している。
平田欽也さんのHIROBIROインタビューはこちらから
街と自然、自宅と仕事場と趣味のヨットのあるマリーナが日常生活圏域に
大学卒業後、東京で12年間生活していましたが、子どもの頃から広島の海辺に住んでヨットに親しんでいた生活がどうしても忘れられず、20年前にUターンしました。現在は、広島市中心部から西へ10キロほど離れた五日市(いつかいち)というところに住んでいます。広島駅からJRの在来線で17分くらい、広島市中心部から車で20分くらいの距離で、郊外でもなく街中でもないようなエリアです。自宅、趣味のヨットがあるマリーナ、仕事場のアトリエがある私の活動エリアは、わずか2kmくらいの三角形になります。
自宅は海辺にあって、厳島(宮島)も見えます。仕事は建物の設計で、住宅を中心に、広島近郊のお店やマンションを設計しています。また職場の近くにある母校の広島工業大学で設計を教えています。
趣味のヨットはマリーナに置いていて、名前は「ゼーファーラー」、「航海者」という名前です。長さ12m、最大20人が乗船でき、8名が寝泊まりできます。これを持っている私はどれだけ金持ちなのかと思っていらっしゃるかもしれませんが、10名のメンバーで、毎年10万円ほど出して維持しています。このマリーナは月々1万5000円から泊められますが、江ノ島だったらこの10倍はかかります。マリーナから一番近い島は宮島で、ヨットで40分、ボートで15分ぐらいです。もう少し行くと瀬戸内海最大の無人島・大黒神島という島があり、ここにヨット仲間で海の家をセルフビルドでつくっています。ヨットで2時間くらい、日帰りで遊べる圏内です。ヨットの楽しみのもう一つは、クルージングです。関東では島がないのでレースを楽しみますが、クルージングはたくさん島がある瀬戸内海ならではです。車で言うとキャンピングカーのようなもので、寝泊まりして移動しながら生活します。また、地域の人にヨットを知ってもらいたいということで37年前に佐伯帆走協会という協会を立ち上げ、船に親子を招待したり、海の清掃活動をしたりといった活動もしています。
子どもたちの話を少ししますと、息子は、広島県の大崎上島というところにいます。自宅から車で1.2時間、フェリーで30分の距離にある船乗りの学校、広島商船高等専門学校の寮生です。瀬戸内海には三つも商船学校があります。息子は、競技ヨットをやっているので、毎週のように自宅にも近い、広島市中心部から車で15分ほどの観音というところにあるマリーナに帰ってきます。このマリーナは、広島県の競技ヨットの中心地なんですが、こういうことを街に近い、よい環境でできるのが広島のよさです。
娘はキャンプにはまっています。広島にはいくつかの自然体験キャンプの団体があって、年間10本以上のキャンプのプログラムがあります。年代も学年も性別も違う子を7〜8人集めて、1週間暮らします。最初は仲違いをしますが、最後はすごく友だちになる。そういう環境の中で、娘は非常にたくましくなりました。
最後に、私の船の船長を御紹介します。佐伯帆走協会を立ち上げた人で、血縁関係はないですが、娘や息子は「海のおじいちゃん」と言って慕っています。佐伯帆走協会は、われわれ世代が受け継いで、次に繋ぐために頑張っています。将来、孫ができたら、私も海のおじいちゃんと言われるように頑張りたいと思います。海と山と街、そして地域コミュニティがある広島にお越しいただいて、ぜひ一緒にヨットをやりましょう!
【広島県パネリスト】高掛智朗さん
瀬戸内隠れ家リゾートCiela 代表
瀬戸内を魅力的な空間に生まれ変わらせることを目的に活動中。尾道市百島に一棟貸しの滞在施設「瀬戸内隠れ家リゾートCiela」をオープンした後、瀬戸内の旬の食材を使った究極のレシピを会員で開発する「瀬戸内美食倶楽部」、瀬戸内の遊休不動産をリノベーションする「Setore」を発足。
高掛智朗さんのHIROBIROインタビューはこちらから
食文化づくり、空間づくりで瀬戸内海全体をわくわくする場所へ
4年前まで東京のIT系企業で仕事をしていましたが、東日本大震災を経て、自分の生き方、能力の使い方を世の中に還元したいと考えるようになりました。当時の会社にいながらにしては難しくて、結婚したてでしたが一念発起して会社を辞めました。今は、広島県の尾道市の因島にある会社で、これまでやってきた広告の仕事を生かし、商品企画の仕事をしています。それと同時に、空き家が増えたり、東京に人材が流れて一極集中になっているなど、社会問題の端々を少しずつ解決できたらと思って過ごしています。
瀬戸内は海、島そして山に恵まれて、すごく風光明媚なところなのに、見て回るところがあまりない。それをいまの時代に合わせてわくわくできる空間にリノベーションしたいと考え、活動を進めています。日本全国同じですが、空き家や耕作放棄地などが増えています。そういうものを使ってわくわくする空間ができると、世界中の人にとっておもしろいものができるのではないかと考えています。
では、瀬戸内全体をわくわくする場所にするために僕は何をしているかというと、大きく二つのカテゴリーがあります。
一つは食文化づくり、もう一つは空間づくりです。主に遊休不動産を活用していきますが、食文化ということでは、農園を実家のある三原市と尾道市の百島(ももしま)につくっていますし、三原市の佐木島で養蜂もやる予定です。空間づくりということでは、尾道市の百島でCielaという滞在施設をつくっています。これから、瀬戸内でグランピングができる空間をつくっていく予定です。
そのほか、瀬戸内の旬の食材を究極のレシピでご提供する料理研究会をつくったり、建築家や大工の仲間とチームを組んで空き家をリノベーションしていくことも始めています。
こんな感じで自由奔放にやっているのですが、移住というと収入の部分が気になるのではないかと思います。包み隠さずお話ししますと、東京で会社勤めをやめ、因島の会社に転職たときの収入は、試用期間だったこともありますが3分の1ぐらいになりました。これではいけない、やりたいことをやろうと思って、現在Cielaをやっている空き家を購入しました。試用期間が終わるとサラリーマンとしての収入が増え、空き家の修復も終わりCielaをオープンしたことによって収益を上げることができて、転職4年目にしてようやく東京で会社勤めをしていたときと同じ収入を得ることができました。家内には3年でやると言っていましたが、1年遅れで何とか達成した状況です。今後の計画は、サラリーマンと並行して、Cielaや養蜂などの事業をどんどんやって、東京の時を超える収入にしたいと思います。
現在勤めている会社は海沿いにあるので、ランチタイムによく魚釣りをします。アオリイカを釣って社内で振舞ったり、仕事は6時くらいに終えてメバルを釣ったりします。お酒の飲みニケーションではなく釣りニケーションみたいな、魚釣りで上司と交流して楽しんでいます。
【広島県パネリスト】岡崎宏美さん
Hiromi Smile Tennis代表・プロテニスプレイヤー
これまで、プロテニスプレーヤーとして広島を拠点に国内外の試合に出場。2012年に「Hiromi Smile Tennis」を立ち上げ、様々なイベントを通して、子どもから大人までテニスを楽しむきっかけを作り、テニス・ビーチテニスの理解と普及に努めている。
プロテニスプレーヤーとして、テニスの普及活動とともに、地域活性化にも関わる
広島市安芸区の畑賀というところの出身です。特にテニス一家に育ったわけではありませんが、高校からテニスを始め、現在は「Hiromi Smile Tennis」を立ち上げ、普及活動にも努めています。広島市の瀬野川病院という精神科の病院に所属し、デイケアのメンバーの方々に体を動かすお手伝いをしながら、アメリカやアジアなど海外遠征をしていました。
プロのテニス選手としては、正直言って、広島では活動しにくいかなと(笑)。野山を駆け回って育ったので運動能力的には上がったと思いますが、野球のカープやサッカーのサンフレッチェと同じで、遠征が多い。広島空港は、広島市から遠いので、関東への遠征へ行くのと同じ感覚で海外遠征へ行っていました。
ビーチテニスという競技を紹介します。いま私は日本ランキング16位、世界ランキング185位です。パドルというビーチテニス専用のラケットを使います。テニスならガットという糸が張ってありますが、ビーチテニスの場合はガットがなくて風穴があります。ボールは硬式ボールより少しやわらかく、反発がないオレンジのボールを使います。コートはビーチバレーと同じ大きさで8m×16m、ネットの高さは170cmです。バドミントンは150cm、バレーは2mくらいですからその中間ですね。そして、ノーバウンドで返球し、感覚はバドミントンとバレーとテニスが合わさったようなスポーツです。世界選手権もあるし、国別対抗戦もあります。東京オリンピックの候補にも入っていましたが残念ながら漏れたので、次のオリンピックに参加できるように目指しています。
現在の競技場所は、広島市の隣、安芸郡坂町にある「ベイサイドビーチ坂」という人工ビーチです。瀬戸内海にビーチは太平洋側と違って、すごく狭くて傾斜があります。ビーチスポーツをする環境はなかなかないですが、ここベイサイドビーチは広く平らに整備されており、自分たちで持ってきたネットを張ってやって、体験・練習会を行っています。
去年、初めてこの場所で国内ツアー大会を開催し、全国から参加してもらいました。今年からビーチバレーが国体の競技になったので、各県にビーチバレーコートが常設でつくられています。ビーチテニスのコートの大きさはビーチバレーと同じで、ネットの高さを変えるだけなので、兼用することも可能です。
今後はビーチバレー、ビーチテニス、ビーチサッカー、それからビーチベースボール、ビーチラグビー、やろうと思えばビーチ相撲もできるみたいです。ビーチなので転んでも痛くない。砂を歩くだけでもリフレッシュできます。リハビリにも使えると思っています。
現在は、このベイサイドビーチ坂をもっと活用してもらうために、町の人たちと施設整備に向けたワークショップをしたり、イベントの企画を考えています。
(小西さん)地方暮らしだからこそ「得たこと。」やってよかったこと、会場のみなさんと分かちたいことは?
(長谷川さん)自然の流れみたいなものをちゃんと思い出せたことかと思います。東京にいると家から出て会社に着くまで、雨に濡れなかったり、天気も気温もわからない暮らしをしていました。いまはそれがない。「この時期はあれがおいしい」、「春はコウナゴの季節だね」、「いまならカキだね。今年のカキは寒いから大きくなるだろうね」とか、人間の生活や営みはもともと自然と一体であるべきだということに気づかされました。動物として生きているなという感じです。
(早川さん)得たものは居場所なのかなということがあります。東京では、工場でアルバイトもしたことがありましたが、そのときは社会のパーツでしかなかったのが、今は自分だけの仕事ができる。大したキャリアもないですが、地に足が着いて、オリジナルな仕事ができると思います。もう一つ大きいのは、信頼かと思います。農村で信頼を得ると「あんたに頼まれたらしゃあないな」みたいに、非常に信頼していただける、認めていただけている部分で、自分の居場所があると感じています。わたしも、地域に支えられて生かしていただいているのだから、この方たちに何ができるかを中心に考えています。
(目黒さん)新しい環境の中でやっていくときに、地方というところに特化するのであれば、何をやるにしてもストレスがありません。自分がやりたい仕事を好きな環境でやれているからです。最初はお金のこと、やりくりで困ることが出てくると思いますが、経済的にヤバイところはあっても、ものは溢れている。人のやさしさ、温かさに触れられる。そういうところに関しては、何の心配もないかなという気はします。
(平田さん)私が得たものは、時間の概念がオフも仕事もつながっていることでしょうか。東京では休日に仕事のことを考えるのは嫌でしたが、いまはヨットに乗りながら仕事を考えたり、仕事をしながらヨットのことを考える。それによって、リラックスできて仕事ができる。東京では著名な物件も多く携わりましたが、今はクライアントの顔、人の顔が見える仕事ができることに満足しています。先ほど子どものことも話しましたが、私が教育したのではなくて自然と自然を大事にする大人たちに、子どもたちが育てられた感じがします。
(高掛さん)私が得たものは、瀬戸内の豊かな大自然の中で生活できているという状況です。ワークライフバランスも、非常にいい状況になっています。東京にいた頃はIT系の会社で、不夜城でやっていました。いまは朝の8時45分出社、夕方の6時ぐらいに帰れる。残業をさせないというより、しない。そういう環境にいるので、仕事をする時間と、プライベートでいろいろなことに自分の時間を投資できるチャンスが得られたと感じています。
(岡崎さん)海外や全国、あちこちに行って気づいたのは、広島は水がおいしいことです。東京にいたらあまり水道水は飲まないといいますが、私はミネラルウォーターを買わないです。うちはまだ井戸水が出ます。何かあるときのために水道水も引いていますが、普段から井戸水を使っています。普通に飲んでいるし、水がおいしいことが一番かなと思います。皆さん、広島に来て水をしっかり飲んでください。
(小西さん)「今あるチャンス。」地方にこそあるチャンスは何か。一言ずつ教えていただけますか。
(長谷川さん)目的によると思いますが、自分からすると東京にはいろいろありすぎて何もない。とがりがなくなってしまっていると思うので、本当にいいもの、おもしろいことは、もともと地方にあるのではないかと思います。自分もそうですが、やりたいことに飛び込んで、やりたいようにできるとみんなに認められたり、やりたいことを実現できるのは地方ではないかと。東京では既にいろいろなことをやっている人はたくさんいるし、能力が高い人もいっぱいいる。その部分で地方がチャンスなのではないかと思います。
(早川さん)丸森町は福島の県境で枯露柿、あんぽ柿の産地で、東京の実家に帰るときは親戚に配るのが年中行事です。逆に、丸森町へ帰るときはすごくおみやげに悩みます。何でもあるようで何もない。地方にはたくさん特産品があるし、売れるものもたくさんありますが、それをやる人がいない。都会の人でも、やりたいと思えばやれるものがたくさんあります。私も枯露柿つくりをしたいと思っていますが、チャンスはたくさんあります。楽しいです。
(目黒さん)「今あるチャンス。」を持っているのは、聞いている皆さんのほうだと思います。なぜかと言うと、外からその地方のよさを認識できるときに、初めてそこでチャンスが生まれてくるからです。皆さんが今日、興味を持って聞きに来ているということは、自分が想定している地方に魅力を感じるからだと思います。実際に行って本当にそこが好きになったときに、その魅力は最大のビジネスチャンスに換えられると思います。関東の人や全国の人に、それを伝え、チャンスに換えられれば、最高のビジネスになると思います。
(平田さん)非常に具体的で少し下世話ですが、建築業界は大変人手不足です。広島は技術者を求めています。今月から、インターネットで空間提案をするサイトをスタートしましたが、インターネットなら、地方と都会は関係ない。でも、地方のほうが有利なことがあります。デザイナーなど、顔の見える仲間が周りにいることです。また、ヨットでは第1世代がそろそろ引退して高齢化しています。若い人はぜひ入ってきてください。息子が通うマリーナの人が、中学生だったら競技ヨットの国体に出してくれると約束してくれています(笑)。子育て世代の方、ぜひ広島で国体選手になりましょう。
(高掛さん)チャンスということでは、尾道市はサイクリストの聖地になり、観光でどんどん伸びています。だから私は活動の拠点を尾道市にしています。もう一つは、遊休不動産の活用です。遊休不動産を活用し、サービスを提供していけば、固定費を抑え、やりたいことにどんどん投資できるチャンスができます。尾道市では動いているひとはもうたくさんいて、企業も入っているので、悠長にしていると尾道ではチャンスがどんどん少なくなっていくと思います。また、「どういう需要があるのか」と「その空間ではどんなサービスが合うのか」をうまく組み合わせると、大きなチャンスに繋がると思います。
(岡崎さん)Hiromi Smile Tennisでテニスの普及活動をしようと思ったとき、関東のテニスプレイヤーに相談したら「いいね、それ。私もやりたいけど、東京ではもうやっているからできない」という感じでした。広島では誰もやっていなかったので自分が第一人者になれたというところがあり、新しく立ち上がるビーチテニス連盟の広島県支部の支部長はたぶん私になります(笑)。東京ではすでにあることを、地方では一番初めに始められると思います。
(小西さん)移住への「心がまえ。」最後メッセージとして「次の一歩。」をお願いします。
(長谷川さん)自分が最初に東北へ行ったときに人に言われたのは、映画の言葉で「燃えよドラゴン」の「Don’t think. Feel!」です。また、日本の地方でローカルなことをやることが世界に繋がるということを最近すごく思っています。自分としては、田舎の漁師が、東京や世界の人よりも進んだことに気がついていた、やってしまっていたということが自然にできるような、次の一歩を踏んでいきたいと思っています。
(早川さん)私は移住歴が長いので最初がどうだったかよく覚えていないのですが、田舎の人たちは見ているんですよね。「今朝、早かったな」みたいな(笑)。うっとうしきもありがたきものと言いますが、見られているということから、注目して見守っていただいているというありがたさに変わっていく心理的な推移がありました。その中で心を割って話せる、相談できる友が一人でもいると、そこで田舎暮らしは成功かと思います。それから、話を聞くことです。ゆっくり話をすることがすごく大事なコミュニケーションだと思います。次の一歩としては、私はずっと外国からお客さんを呼んで日本のよさを知らしめたいと20年以上前から思っていました。丸森町としてもインバウンドを取り組んでいこうと頑張っていますので一助になれたらと。昔と比べると非常に田舎暮らしはしやすくなっています。いま来なくていつ来るんですか、「いまです」(笑)。必ず来てください、待っています。
(目黒さん)先ほどの続きですが、自分の人生を楽しみ切れるかを考えて動いたときに、たとえば町の人とか、自然だったりが、うまくいくときはうまくいき、うまくいかないときはうまくいきません。うまくいかないことを無理くりしても、意思と反することになってしまうと思います。まずは、自分が最大限に楽しめるかを考え、自分で決断してうまくいくのであれば、それがすべてだと思います。
(平田さん)私が設計した建物にカープの前田智徳選手が来てくれたんですが、私はわからなかったんです。カープのことを少し知っておくといいかもしれません(笑)。次の一歩ですが、ヨットのことが気になった人は、帰ってからインターネットで「佐伯帆走協会」、「広島県ヨット連盟」を検索しください。それが入口です。
(高掛さん)心構えは、移住する前にできるだけ自分の人生のビジョンを固めることです。今後の人生をどこで、どのように生きていくことが幸せなのかを見つけることが大切です。私の移住1年目は、収入が大幅に下がり、人生のどん底でした。そんな時、唯一の心の支えが、東京に住んでいた時に決めた「自分の人生のビジョン」でした。それを心の支えとし、4年忍耐を続けて努力をした結果、少しづつ花が開いてきました。移住する前に、どこでどう暮らすか、自分と家族と向き合って相談して決めることが大切だと思います。私の次の一歩ですが、瀬戸内グランピングの話を、今年まとめようと思っています。候補地を確定して、より多くの方が瀬戸内を体験できる空間をサービスとして提供できるように取り組んでいこうと思います。
(岡崎さん)まず、車の免許を取ってください。広島は、公共交通機関で、ある程度どこへでも行けますが、車があるとより便利です。海へも山へも20〜30分で行ける。広島はスキー場も多くて、1時間くらいで行けます。私がいま次の一歩として考えているのは、三原にある軍手の会社でビーチソックスをつくろうと思っています。関東のビーチとは違って、瀬戸内海は貝殻、牡蠣が砕けたものなどがあって砂がすごく粗く、それで足をけがしてしまうこともあります。ビーチソックスをつくって、海水浴シーズンじゃなくてもビーチに来て遊んでもらいたいと思います。私もビーチテニスを「広島でするにはどうしたらいいか、だれに言えばいいのだろう」と思いましたが、相談したら「あの人を紹介するよ」、「ここならできるよ」とみんなが助けてくれました。やりたいと思ったら、まずは飛び込んでみたらどうでしょうか。
【セミナーを終えて】
東京圏と地方をフラットに行き来できるような人の流れを作りたい、それを実現できる暮らし方、働き方が新しい日本の形を作る。そんな思いで始めた、宮城県と広島県の共同移住フェア・パネルディスカッションですが、その思いを確信に変えてくれる、6人のパネリストでした。コーディネーターの小西さんも仰ったように、地方での暮らしを検討する際には、既に地方で新たなチャレンジを始めている先輩の話を聞くことが最初の一歩。広島県では、東京・有楽町の「ひろしま暮らしサポートセンター」で、今回御紹介したパネリストのほか、様々な分野・地域の先輩移住者を御紹介しています。また、移住する際に気になる「仕事」に関しても、「仕事探し」「仕事づくり」、あらゆる面で具体的なサポートを用意しています。広島暮らしに興味を持たれた方は、是非、「ひろしま暮らしサポートセンター」へお越しください!